題詠について思うこと ~はしぼう歌会(9/18・10/2)ふりかえり~
お久しぶりです、あさげです。
しばらく投稿をサボってしまいましたが、これからまた書くようにしていきたいです。
この1ヶ月ちょっとの間に、はしぼう歌会も色々と変化がありました。
いちばん大きいところでは、自由詠ではなく題詠に取り組むようになったという点でしょうか。
『道ならざればけものみち』(お題【獣】)
李徴子の詩篇をノートに写す夜 鉛筆削りのナイフは冴える
狂というごく侮蔑的な一文字を綴るその手の内にも犭(けもの)
誰しもが道ならざれば藪の中 ローマを逸れて踏むけものみち
『ON ST@GE』(お題【最】)
アリーナの最上段に立つぼくの呼吸を止めてきみは滲んだ
「最高の笑顔」の見本がここにある 展示品限りなのだとしても
次が最後の曲です、と言う前の一瞬だけはひとりの少女
見てのとおりですが、お題は漢字一文字というルールでやっています。
個人的には、一文字の漢字からどれだけイメージを膨らませられるものなのだろうか…と不安も大きかったのですが、今のところ、楽しんで詠むことができています。
自由詠から題詠に変わったことで、以前にもまして〝ことば〟に対する意識は高まっているような。例えば【最】というお題で詠んだときは、最が付く単語を歌のなかの自然な流れで使うことを意識してみたりとか。こういう発想の仕方は、自由詠ではあまりやらないので新鮮ですね。
歌会の議論も、題詠になってから洗練されてきたような印象があります。
というのも、お題が共通のものだと、詠者がその歌作を通じてどんなことを伝えようとしているのか、相対的な比較の中で見える部分も大きいので、論点がクリアになるんですよね。
特に、漢字一文字みたいなシンプルなテーマだと、技巧に凝り過ぎるわけにもいかないので、作品自体もわかりやすくなるのかもしれません。
ただ、自分の中で心掛けていることもあって、それは〝文学のことば〟を楽しむということです。
『道ならざれば…』の2首目にある「ごく侮蔑的な」という言い回しが自分でも気に入っていて、こんな仰々しい言葉、文芸作品じゃないとまず使わないですよね。あと『ON ST@GE』1首目の「きみは滲んだ」みたいなレトリックとか。
文芸は楽しい、楽しんでいい、というのが僕の持論でもあります。読んでいる人を日常から三歩くらい離れたところに連れて行けるような、そんな作品を作っていけたらいいですね。
直近の結果としても、【獣】の回でMVP、【最】の回で1位を獲ることができたので、弾みをつけて腕を磨いていこうと思います。
次回も実りある歌会になりますように。