憂鬱な春、小説の筆を折り短歌をはじめた。けれど、その先にも小説があった。
こうして「はしにもぼうにも」の一人として短歌をつくり始める前、
僕は小説を書いていた。
それは、ジャンルでいえば「ショートショート」に類するもので、気が向いたときに半日くらいで書き上げてツイッターに投稿する、ということを1ヶ月ほどやっていた。
まだ今の仕事に慣れていなかったのと、ネタを思いつくまでに時間がかかるので投稿ペースはかなり遅かった。
それでも、長く続けていけばフォロワーも増え、まあまあ存在感のあるアカウントになれるんじゃないかとも感じていたのだが、社会全体が流行り病の話題一色になっていくにつれて、僕の創作意欲も削がれていった。
当時の気持ちを明確に言葉にすることは難しい。
ただ、ネットというものへの不信感が募っていったのは間違いない。
めまぐるしく更新されていく情報の渦の中で、よくわからない横文字とか、差別的なスラングとか、政治家への侮辱とか、負の感情を纏った言葉が次々にタイムラインを駆け抜けていった。
それらのどの言葉にも共鳴できず、そして、混乱と不安の中にある人たちに自分自身がどんな言葉をかけるべきなのかも見出せなかった初春。
僕は、小説を諦めた。
ほどなく、友人の糸間くんやあいちゃんと短歌をはじめた。
縁に恵まれ、ナツメさんや蛍くんも加わり、ユニットが結成された。
いま思えば、僕は短歌を交流するという活動を通じて、人の温かさに触れたかったのだと思う。悲観的な思想と言葉ばかりが蔓延する世界の中で、自分が思春期の頃に見た風景の眩しさであったり、恋人と過ごす時間の価値であったり、この世界に生きる理由を語り合いたかったのだ、きっと。
短歌をやってみて、分かったことがある。
創作の一つの意義とは、自分の現在地にピンを立て、将来の自分に心のふるさとを作ってあげられることなのだ。
正体の分からない不気味なウイルスが拡大し、国が文字通り「緊急事態」に向かっていく中、僕がヤフーニュースやツイッターで目にした言葉は、とにかくヒステリックで、示唆のない薄っぺらな言葉ばかりだった。
僕はこれから先の人生で、あの春のことを追憶し、「人々が混乱していた」という状況を思い出せたとしても、「この一言に励まされた」と感じることはないだろう。
もとより、そんなものは他人に求めるべきではない。
そう。僕はあのとき、小説を諦めるべきではなかったのだ。
日々、どんな言葉を目にして、何を感じ、何を考え、どう行動しようとしたのか、できなかったのか、それを文章として形に残すべきだったのだ。
短歌に学んだことは一つだけではない。
文芸ジャンルとしての「現代短歌」はとにかく奥深く、僕のような初学者にとっては発見の毎日だ。末永く続けていこうと思う。
けれど、その一方で、僕は今こそ小説を書くべきだと感じている。
31音(みそひともじ)では語り尽くせないこと、
タイムラインの勢いに流されて消えてしまわない言葉、
将来の自分の心のふるさとになってくれるもの……。
本当は、そういうものの話ばかりをしていたい。
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