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いわば、言い切る力 ~はしぼう歌会(7/17)ふりかえり~

すこし期間が空いてしまいましたが、歌会のふりかえりです。

『夏の迷子』
Googleがピンを立てないあちこちに忘れられないそよ風がある
あの夏のリレー小説の結末を探して今日も迷子になった
片耳で聴いてた曲が多すぎて一人の夜はまだ騒がしい

今作のテーマは「ノスタルジー」です。(定期)
ただ、ここまでハッキリと人間の追憶を描いたことはなかったので、読む側からすると「いつものあさげだな」という感じなのだろうけれど、作ってる方はわりと新鮮な気持ちでもありました。

今回、作歌に際して意識したのは、まず〝言いたいこと〟を決めて、それを核にして言葉を探していくということ。

以前、あいちゃん(@aichan31go)と話したときに、「僕は言いたいことが先にあって、短歌になっているか否かに囚われていないから、破調も恐れない」ということを言っていて、なるほど!と思ったんですね。

おそらく僕は全く逆のタイプで、短歌になりそうな言葉を繋いで、そこに作り手の〝意図〟みたいなものを読み取ってくれたら、それでいいかな、と。
それが今までのスタンスでした。

でも、ちょうど順位も落ち目になってきたところだし、なにか方法を変えてみようということで、今回の三首が生まれました。

過去の作品と比べてみると、人間の〝声〟で詠まれている感じが強いという印象ですね。社会的に・思想的にインパクトのあるメッセージを発信しているわけではないけれど、はじまりから終わりまで一息で言い切ってしまうような、そういう芯の強さはあったかなと思います。

あと、個人的に手応えを得たのが、今回の歌は三首とも、31音がほぼそのまま降りてくるタイプの歌だったんですね。

これはいつも言っていることで、策を練って、何度も推敲してようやく出来た歌って、あとから読み返すとピンとこない歌が多いんですよね。逆に、これはでかしたな~!という歌は、最初から完成形で思いつくパターンがほとんど。不思議ですね。

でも実際、人がことばに感動するとき、そのことばが理屈やレトリックにこねくり回されたものであることって、あんまりないと思うんです。

僕は文芸も芸道のひとつだと捉えている立場なので、「短歌はテクニックじゃねえ、ハートだぜ」とは口が裂けても言えませんが、言いたいこと(核)とそれを精確に伝える技術(デザイン)がうまく調和する道を探していきたいなと感じています。

ちなみに、順位は2位に浮上。まだ上を狙っていきますよ。

次回も実りある歌会になりますように。

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