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息子と電車練習


2023.1月
突然浮上した電車問題。
パニック障害な私は何でも怖いので安全地帯から出ませんでした。

発達障害児の息子が支援学校に通うため、電車に乗れるようにしないといけない。
最近の子は、仕事やバイトに行くのも親の送迎の人がいて、「足がないから休みます。」と休んでしまうから、就職の際に自分で移動できないと不利なんだそう。

当初「そんなこと絶対ムリ。できない。」という発想があったので、私の脳内を「できる」に変えて発想を変え、行動を変えてみた。

それ以前に、教える私が電車に乗れないと気づく。
息子の問題は私の克服のために現象化しているのね。
なんてナチュラルな盛り込み方。

「苦手なことは無理してしなくていい」と言われても無理してでもできるようになりたいし、
「誰かに頼めばいい」と言われても、私もやれる人でありたいからやらない道はない。

師匠にブロックの数々を外してもらい、ちょっと月日が経ち、やっと来た練習前日。
ホームを想像すると何かゾワゾワする。
また発動した?とブロックを出してみる。
ふと、もしや憑いてる?と思い、そっちから入ると恐怖感は消えた。

私に救いを求めたのは、希望に満ち溢れる人の中で重圧を感じながら、ポジティブな励ましでネガティブな本音を出せずに行き場がなくなったもの。

無理しなくていいよ、できなくても大丈夫、そのうちできるようになる、他で頑張ればいい、など、
ポジティブな励ましの中に隠れる、ポンコツ、出来損ない、劣等感を排除する心。
上手くいかないのに、「きっと上手く行くよ」と信じ込まされ、信じられない気持ちと、信じさせられた教えの狭間で震えになっていました。

行き場がなかった思いと一つになってみることで、湧き上がっていた恐怖感は消えた。
今の私は、恐怖感が誰かのヘルプサインであることも知っている。

リーディングマスターの幽霊解説から学ぶ


そして当日。
いざ出発!

息子:ソワソワ                                                  私:ゾクゾク

改めて写真を見ると、息子の顔で発動がわかります。
私もそう。
人相が変わる。笑

息子も恐怖感で動きが大きく私とぶつかったり、靴下をしっかり上げ過ぎて力一杯ギューン!したり。
行ったり来たり、言葉が高速で多くなり、「飛び降りたらどんな気持ちになるかな!」「乗ったら全員殺してみたくなる!」「でもそんなんしたらあかんしなぁ!」などなど沢山話します。

私はそんなことに構う余裕はないので、固まって時を待ちます。
「今からアウシュビッツに連れてかれるの?」
「私たちこれから石鹸にされるの?」と夫いとー君に言うと、優しく「ならんよ^ ^」と答えてくれる。

先に待っていた老夫婦が「電車来た。」と私達に呼びかけます。

乗り方がわからない私と息子と老夫婦に、いとー君が乗り口の扉と整理券を取るよう説明します。

券売機がない無人駅のため、整理券を取る。

後でいとー君から、「かおちゃんお年寄りを先に譲らず行くからビックリした。」と言われた。
そんなことがあったのも覚えていない。

無事乗った!
と思った瞬間目に入ったのは満員電車の図。

座る気満々のはずが!

私の想像してたのは、ローカル線で座って景色を楽しむ風景。
現実は入り口ドアの手すりに捕まり、周りも座れない人たちが立っている風景。
唖然とするのも束の間、走り出した電車に驚く。

かなり揺れる!

この揺れは想定外。
立っていられない私の弱々しさに、息が乱れるじゃないか!揺らさないでよ!とは言えず、グラングランするたびドアにぶち当たり、バランスが取れない恐怖に錯乱する。

ついに泣く←

無理だ…
怖すぎる…
阿瀬井香織44歳。
情けないですがたかだか電車で泣いてますw

景色を楽しむ余裕もなく、必死に手すりに捕まり生き延びるため固まる。

「前の方に移動するか?」といとー君。
「今動いていーの?」
「いーよ、バランス取らなあかんけど。」
では、空いてそうな前に行こう。と、
手を繋いで引いてくれるいとー君。
「俺はかおりみなあかんから自分で来いよ。」と息子に伝え、障がい者どっちよ…と内心ガックリくる私。

前の方が広くてちょっとだけ落ち着く

前方の景色楽しめるかな、と思ったけどただ怖いだけだった。
やっぱり揺れが怖い。
こんなにゴトゴト揺れてたら線路から外れるんじゃない?
運転手の立ち姿を見習おうと雰囲気を見てみるけどできそうにない。

そんな中、息子はすでに乗りこなし揺れを楽しんでいた。

馴染んでる!

すっごいね!
素直なんだわ。
私はこんなに抵抗してるのに。
揺れと同じ方向に身を任せればいいのに、揺れないでと抵抗し、委ね方がわからなくなっている。

流れに身をまかすのがまだ怖いんだな。
自我でコントロールしようとしているのか。
感覚敏感が不安ベースで発動して、全てがネガティブになっていた。

3駅進み降りる駅に到着。
ドアはボタンを押さないと開かないらしい。
切符代をバスのように払う。

もたつく私たち

無事到着です。

乗せてくれてありがとね、クモハ!
ここも無人駅


しかし、私には達成感はありません。
揺れという新たなる課題が出てきたから。
前は怖くなかったから、揺れが怖いと思うなんて想定してなかった。
揺れに対して怒りまで湧く←

ガッカリ肩を落とす私に、2人が頑張った!と何度も何度も言ってくれた。

が、私は答えることができずグッタリするのでした。
もっと、「乗れたよ!やったー!」と終わりたかったのに…情けない。

こんなこともできないんだ…
揺れに文句言ってどーすんのよ…

そこで、やはり絶望から愛の世界までの道なのだと、
これすらやり直しに入っている。
「大丈夫だよ」と信じさせられると、できない私との狭間で揺さぶりがくる。

無理なものは無理なの。
まずそっから始めないとパニックになる。

パニックは「大丈夫、大丈夫。」と言い聞かせるのが主流。
でも大丈夫じゃないのがどこかでわかっているから、大丈夫との差でブルブルする。

無理です。
を遠慮なく認めないことには始まらない。
「でもできないとダメだし…」
いや、無理です。
何を言われようが無理。
怖いもん。
理解されてもされなくても怖いもんは怖い。

そこから何が怖いか出してみて、
その怖さがどこかで得た教えによって理想と現実のギャップになっていることを見つけてみる。

今回の私の場合、まわりに翻弄される人々の主体性を失った姿に同化していた。
基準値が世間だから、それに順応できないと劣等感を感じてしまう。
世間よりもっと広い範囲で「自然」に基準値を合わせると、規則性の中に異質なものがあることに気づきます。
いつだって何かが入って形を壊し、新しい流れが起きる。

それが分からず周りに翻弄されて、心がこんなにフラフラ揺れたら、何かのグループや誰かの強い意見に捕まりたくなる。
そんな気持ちを体感して、やり直しに入ります。

揺れの恐怖の正体がわかると、揺れに対する受け取り方が変わる。
もう一度いとー君に頼んで一緒に乗ってもらい、
母親に駅で待っててもらってやり直してきます。


堕ちたら絶対何か掴んで立ち上がってやる。


それでは!


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