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阿瀬井家と夫の実家の因果


息子の自立の章が始まるに伴い、
阿瀬井家のカルマも頻発。

支援学校高等部に入学

伊勢神宮→師匠夫婦敦賀入り→阿瀬井家大変革の流れの中にいます。

毎日起こる問題を追いかけ続けて今を生きている。

その中で学んだことは
・更年期障害が起こる意識の使い方と意味
・私たち一族の男女の壁となっていたブロック
・男女両方の苦しみを体験している
などがわかり、家族全体の歯車が少しずつ回り始めています。

阿瀬井家は男が孤独死をする流れにあり、
子ども達は可愛がられる側と嫌われて勘当される、関わりが薄くなる側に分かれている。

そんな中、私は「子は誰が育ててもいい」と里親を始め、世の中の余っている子を養子にもらう。
私自身が産みたいとは全く思わない。
「誰が育ててもいい」の反対にある、「私が育てたい」という気持ちに共感できていなかったため、「私が育てたい」という思いに堕ちて見失い、手放す導きがありました。

今、親子間、夫婦間、夫姑間で繰り広げられていることが、私の中の問題。
私だけじゃなく、家族みんなが持っている問題とも言える。

夫婦離れて上手くいっていた人は、絡むほどに問題が浮上する。
一緒に過ごして思いっきり喧嘩しないと停滞したエネルギーは動かない。
コロナによって問題に向き合う機会をもらっていたのはみんな感じていること。

だけど、喧嘩するにも賢く正しくありたい常識の壁は、喧嘩すらちゃんとできなくなり、怒った人に正しさを説得して言うことを聞かせようとする。

現代は、保育園から喧嘩をしないように守られ、喧嘩はダメよ、と教える社会になっている。
分かりあうために喧嘩していると見守ることはできない。
目の前の喧嘩が私の内面を表しているという視点が創造性を広げてくれる。
「喧嘩しないで」という人たちが喧嘩を否定して、
喧嘩に喧嘩をする流れを裏で創っている。

とても面倒くさい「喧嘩」を、本気で分かり合うつもりでやれる選択肢も持つこと。
「揉めたくない」と平和を望み、何もしないから相手も止められない関係性がある。

どれだけ姑息な手を使われても向き合っていける本気さを持てるか。
そんなことが私に問われていたことでした。

ネガティブをネガティブで返してしまうエゴ。
ネガティブをポジティブに返すために、自らがネガティブの極みに立つこと。
そうじゃないと、相手をポジティブに押し出すことすらできない。

素直に感情を出せる夫や息子が、2人がかりで麻痺していた私を育て直してくれました。

2人の気持ちがわかる私になりました。

息子を撮る私を撮る夫
傘を忘れた私をサポートする息子

私が「1人でいい」「いらない」と無意識にやっている所に、保護者的な目で2人が助けてくれている。

私はそういう優しさを受けずに育ったから、一族の外から入ってきた者達に育て直してもらいました。

他者によってしか変えられないところがある。
私以外の存在に従っていく道がある。

私の自立は、みんなに委ねられて初めて成立するものです。
私の姿がみんなの姿でもあるため、私自身が変えていくことで鏡も変わります。

息子の寮の同部屋の子が、入学式に3年生の祝辞を発表した代表生徒。
これからの学校生活と寮生活が楽しみすぎます♫

そして、今日は夫の母親の誕生日。
明日は夫の誕生日。

私は勘当されて連絡を取れない夫と母を繋ぎ直すために、朝、私たち一族の共通ブロックを外してみました。

母が変わり、夫が変わり、
あれだけ連絡するのを拒否していた夫が、
「明日電話するかも」と言うところまできた。

これすら私次第なの?って感じ。
だったら全部私が解決できる問題ということになる。

やるかやらないか。
やるでしょ。

最初は無理かも…と信じられなかった問題を取り組めるようになったのは、夫が私の母親に間違ってメールをしたことから。

なぜそんなことが起こったかのブロックを見ると、朝母親のブロック外しとなり、夫に母親からアプローチする流れが起き、夫の母への道が繋がった!

この一族のブロックをクリアできたら、両家を一つにした新しい流れが起こせる〜!

「ミスをする男」を許せなかった両家の女達。
男は許され、女は男を支える人になりました。
一族の男女統合の始まりを感じています。

息子の自立は、家族の問題をクリアすることなくして絶対に成り立たない!

どうか応援しててください♪
みんなの家族も動かして、私に力を与えてください。


それでは( ´ ▽ ` )ノ

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