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効率的市場仮説とインデックスファンド、金融工学という錬金術?に興味を持つ

金融工学との出会い。

投資を始める理由といえば、儲けたいからではないでしょうか。

しかし、投資にリスクはつきものです。

この世の中は、ハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンというのが原理原則。

高いリターンが欲しければ、高いリスクを受け入れることになり、リスクを取りたくないなら、低いリターンで満足しなければならない。

リスクなしで高いリターンが欲しいというのが本音だけど、そんなものはほぼ存在しないと思ったほうが良いし。

もし、人からそういう商品を紹介されたら、詐欺だと思ったほうが身のためです。

「フリーランチは存在しない、というのがこの世界の真実」、という認識は意外と重要です。

ところが、科学的にリスクとリターンのバランスを絶妙に調整することが出来るという話が出てきた。

しかも、その理論はノーベル賞まで取っているという話です。

投資で成功するためのコツは、出来るだけ少ないリスクで、大きなリターンを得ることです。
矛盾しているようだけど、これをどう実現できるかが、投資の上手い人と下手な人の違いなのかもしれません。

金融を物理学のように計算する学問、金融工学。
この金融工学という学問分野は、もしかして錬金術か何かか?

ということで、金融工学という話に、がぜん興味が湧いたというわけです。

リスクは定量化できる?

金融工学に興味が湧いたので、その関連の本を何冊も読んでみました。

ポートフォリオ理論やCAPM、ブラック‐ショールズなどなど、なかなか難解な話がいっぱいでしたが。

しかし、筋は通っているように感じられる。

リスクという言葉の意味には、なんかぼんやりとした感じも受けなくもないのですが、金融工学では、このリスクのことを『ばらつき』と定義して説明しています。

つまりは、価格変動の大きいものはリスクが大きく、価格変動の小さいものはリスクが小さいといった意味になります。

これによって、リスクが統計的に計算できるようになり、数字で示せるようになったのが大きかったのかもしれません。

数字で表せるということは、いろいろと複雑な計算式を絡めれば、リスクをコントロールできるようになるかもしれない。

そして出てきたのが、ノーベル賞を取った理論と言われている『現代ポートフォリオ理論』。

値動きの癖が違うところへ分散して投資をすれば、リターンを犠牲にすることなく、リスクを小さくできる。

まさに、リスクを抑えながら、最大限の利益を狙う、錬金術のような理論です。

理屈の上では、価格変動が真逆に動く(相関係数-1)資産を組み合わせて保有することで、リスクがゼロになり、リターンだけを手にすることができるという話です。

しかし現実的には、実際に私たちが投資できる分野の中で、真逆に動く資産の組み合わせというのは、あまり見られないし。

仮に相関関係がマイナス(逆方向に動く)の関係性の資産の組み合わせを見つけたとしても、その両方が高リターンが期待できる資産ということもほとんどない。

そして、そのような関係性の中で、できるだけリスクを低減させながら、高いリターンを得ようと思うと、今度はたくさんの資産に分散させる必要が出てきたりする。

でも、多数の資産に分散して投資をしようと思うと、手間とコストが馬鹿にならない。

つまり、『結局この世界には、フリーランチは存在しない。』ということを知ることになるだけでした。

現代ポートフォリオ理論は本当に必要なのか?

一時はすごい話だと思って興味を持つようになった理論でしたが、結果的には、個人的な肌感覚として、「現代ポートフォリオ理論は、私たち個人投資家にとって、必要なものなのか?」と感じています。

現代ポートフォリオ理論によって、どの程度のリスクをコントロールできるのだろうか?

0.5%?、0.3%?、おそらくその影響は1%もない気がしていて、私たちが肌感覚で感じるほどのリスク低減効果はないんじゃないかと思っています。

複数の資産に分散することで得られるリスク低減効果のほとんどは、ただリスクの小さい資産にも分散して投資をしていたことが、全体的なリスクを抑えるのに役立った、という程度のものではないのだろうか?

もしかすると、現代ポートフォリオ理論なんて考えなくても、リスクを抑えたいなら、リスクが小さい資産への配分を大きくし、リターンを狙いたいなら、リスクの大きな資産への配分を大きくすればいい。

結局それだけってことはないのだろうか?

つまるところ、古くから伝わる安全資産とリスク資産の資産配分の考え方が、一番合理的ということなのかもしれない。

実は、仰々しいものに限って、大した効果はない。

投資信託や保険など、さまざまな金融商品の世界でもそうですが、それが金融の世界の真実ということなのかもしれないと思いました。