貯金じゃなくて、投資するお金が欲しくて、お金を貯めたら、そこそこ貯まった。
もしかしたら、貯金をするつもりじゃなかったのかも?
社会人になって、仕事をするようになり、そこそこの収入を手にすることができるようになった。
でも、決して年収は多い方じゃなかった。年収300万円といわれる金額にも届いていなかった。
職場は税理士事務所だったので、ある程度安定した業種だったのかもしれません。不景気と言われながらも、昇給は毎年それなりにありました。
入所した最初は事務所が社会保険にも加入してなかったたのですが、数年後事務所で社会保険に加入するようになり、手取りが減りました。
税理士である事務所の所長は、手取りが減るのはかわいそうだと言って、基本給を上げてくれたことを覚えています。
しかし、年々上がる社会保険料、昇給よりも社会保険料の上昇ペースの方が早く、手取りは全然増えた気がしませんでした。
残業。それが収入を増やす唯一の方法だったのかもしれません。
しかし、あまり残業はしなかった。もともと残業して働くというのは好きじゃなかった。
父親があまり残業しないで家に帰ってきてたことが、子供心に記憶あって、残業はあまりしたくない、という気持ちが親から移ったのかもしれません。
とにかく、昇給よりも早い社会保険料の上昇。残業をなるべくしたくないという、稼ぐことへの関心のなさ。
何年たっても、手取りは全然増えていかなかった。
それでも、その中からちゃっかり貯金はしていた。
意識的にお金を貯めたいと思っていた。でもその気持ちは、どうやら仕事をして貯めたいというものではなかったようです。なにせ手っ取り早く収入を増やせる『残業』には、ほとんど関心がなかったことが、それを表しています。
おそらく『お金』そのものには、あまり関心がないのかもしれない。
何のために、お金を貯めていたのか、それは『もっと投資をしたい』という気持ちだったように思います。
投資をすれば、世界は変わると思っていた。
収入を得る方法は、働くことだけじゃない。投資をして収入を得ることもできる。
そして、働いて稼いだお金を、投資から得た収入が上回った時、経済的自立、自立した投資家になれると思っていた。
正直なことを言えば、本気でそれができるとは思っていなかったと思う。月20万円にも届かない収入で、経済的自由なんて、現実的じゃないというのは、なんとなくわかっていた。
ただ、『興味』があった、「そんなこと本当に可能なのか?」という『好奇心』が強かったんだと思う。
だから、貯金がしたいのではなく、『投資するお金』が欲しかったんだと思う。
『投資するお金』を作るために、支出を抑えながら、お金を貯めていた。
実際、収入から支出を引いた、本来貯金と言われる部分のお金は、ほとんど株式や投資信託といった金融資産に変わっていった。
大きく値下がりするリスクを知らずに、ひたすら投資額を増やしていました。
今思えば、貯金しようと思って貯金が出来たかというと、ちょっと怪しいのかもしれないと思う。
『経済的自由』という知らない世界に向かって、実現は無理でも、少しでも近づけるようやってみたいという『好奇心』が、自然と貯蓄に向かわせたのかもしれません。
貯金するにも、「何のためにやるのか」は、重要なことだと思う。
中には勝手に貯まってしまうという人もいるようですが、基本的には人は収入が増えると、自然と支出も増えていく傾向があるようです。
年収が多いから経済的自由が近いとか、年収が少ないと貯金ができないとか、そういうのは関係ないということを最近感じています。
貯金とは、やる気のある人ができるもの。
なのかもしれない。
「何のために貯金するのか」、もっと言えば「どうなりたい」と思っているのか。
それがお金と上手く付き合っていくうえで、最も大切なことなのかもしれないと思っています。