愛より強い毒
~愛より強い毒~
過去、幸福実現党の大先輩、宮松宏至氏の著作、写真集、監修映画等をいくつか紹介させて頂いた。
氏の著作、監修映画を通じて、未だに水銀汚染の爪痕が遺るカナダのグラシイ・ナロウズの存在を知った。
1963年、インディアン省は500人のオジブワ族に、広々とした居住地を放棄し、窮屈な郊外スタイルの集合住宅(グラシイ・ナロウズ)に引っ越すよう強制した。
その後近くの川の水銀汚染が発覚し、オジブワ族は政府の仕事と福祉に完全に依存するようになった。やがてアルコール依存症が蔓延した。子どものネグレクト、少年非行、暴力による死亡、自殺の件数は、全国平均をはるかに上回った。
このあたりの事情は、「インディアン居留地で見たこと ~カナダ、グラシイ・ナロウズでの6年~宮松宏至:著」1983 :草思社にもその一端が書いてある。
https://ameblo.jp/papadad/entry-12736783162.html
また、宮松氏が監修した短編映画「Grassy Narrows -A People Between-」1979でも問題提起されている。
https://youtu.be/CVlW4uZQxXs?si=2S9gRxX2zhj8m6wP
グラシイ・ナロウズについて、ネットで調べているとある衝撃的なタイトルの著作が眼に止まった。
「愛より強い毒: オジブワ・コミュニティの破壊」
原書のタイトルは、『Poison Stronger than Love: The Destruction of an Ojibwa Community』
![](https://assets.st-note.com/img/1705168306254-ZUJwdR04PH.jpg?width=1200)
この本の紹介に、住民の声が記されていた。
「自分でも説明できないんだ。私が知っている唯一のことは、アルコールは子供たちへの愛よりも強い力を持っているということ。それは毒であり、私たちは壊れた人間なのです。私たちは心の中で十分に苦しんでいるし、だからこそお互いに理解し合えるのです」--グラシイ・ナロウズの住民
アルコール中毒が蔓延した住民の声である。
子どもへの愛より強い毒(アルコール)というのだ。
確かに短編映画の中でも、アルコール中毒を克服した女性のインタビューがあった。
その著作のレビューを見ると、非常に高評価であり、当時、大変話題になった本であることがわかった。
ある方のレビューはこんなふうに書いてある。
「人類学の分野への重要な貢献。この物語は、民族誌的な語り口で、読者をズタズタにするだろう。文章に添えられた写真は冷ややかで、先祖伝来の土地の激変と文化との断絶から生じた世代間のトラウマを物語っている。悲しい物語だが、この物語が世界中の多くの場所で起きていることを理解することは重要だ。」
添えられた冷ややかという写真?
なんと、写真は、宮松宏至氏が撮影した写真であった。
なんとしても読みたいと思った。昨年12月の始めに注文して、やっと昨日1月10に届いた。一ヶ月以上かかった。今回ほど、アメリカと日本の遠さを感じたことはない。
ページを開くと、確かにPhotographs by Hiro Miyamatsuと書いてある。なんだか嬉しい。
![](https://assets.st-note.com/img/1705168350808-8hHhepjjVC.jpg?width=1200)
著者は、カナダの人類学者アナスタシア・M・シュキルニク (Anastasia M. Shkllnyk,1945~2014)
![](https://assets.st-note.com/img/1705168387914-vgsTr9fLIF.jpg)
序文は、アメリカを代表する社会学者カイ・T・エリクソン(Kai Theodor Erikson,1931-)が寄せている。
![](https://assets.st-note.com/img/1705168406560-Ik4MzXkxFR.jpg)
宮松氏の写真も多く掲載されている。
![](https://assets.st-note.com/img/1705168431080-IFJxCR1rkz.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1705168444165-wVzSUxHp7z.jpg?width=1200)
さて、半年を目標に読破したい。夏には、レビューを書くぞ!(笑)
宮松氏より以下の私信を頂いた事を付記しておきます。
この著書は、Anastasia M. Shkllnyk が私が居留地に滞在していた時に来られ、MITの博士号を取得するために書かれた論文を後に書籍化したものです。約二年程かけて書き上げたものです。その間に、 Kai T. Erikson(当時Yale大学の教授)に居留地に来ていただき、リサーチしていただきました。Shkllnykさんとは、彼女が居留地にいたときに、いろいろと村人への紹介や、論文内容を話し合ったりさせていただきました。当時、白人の女性が単独で居留地に来られることは、本当に’稀有’なことでして、なにがしかのお手伝いをさせて頂きましたことは、今となっては、”ノスタルジー”の一言です。
![](https://assets.st-note.com/img/1705168793194-ZRdyticmKr.jpg)