【軽度知的障害】障害受容した話
今回はIQ68軽度知的障害と自閉症スペクトラムの僕(ヌーマ)が障害あると知ってから自身の障害を受け入れるまでの話を5つの障害の受容過程に沿って綴ります。是非最後まで読んで頂けると嬉しいです。
障害受容とは?
そもそも障害受容とは何なのか?なのですが総合リハビリ美保野病院の清水里江子さんによりますと
だそうです😅
ショック期
僕は小学校6年生の障害者手帳取得時に支援員と母の話を聞き自分に何らかの障害があると知り当時はとてもショックでした。当時の僕は授業なとで周りが当たり前のようにできることが自分にはできないことに憤りを感じており自身に障害があることによって頭の中が真っ白になってました。
まるで鈍器で殴られたような感覚に陥っていたんだと思います。
否認期
小学校まで普通級で中学校から特別支援級に入り小学校から馴染みのある友達からは「どうして特別支援級にいるの?」っと相手は悪意は無く聞いてきても当時の僕は障害者であることを悲観的に思っていてすごくそれを聞かれるのが嫌で毎回上手く答えられませんでした。その為、1年生の時は特別支援級で列をなして移動する時はいつも後列いて周囲の目を気にしながら目立たない様にしてました。自身の障害を足枷の様に感じてました。
混乱期
そんな中、特別支援学級の担任先生から普通級でも交流をする為時より普通級の授業にも参加を進めてられました。周囲からの目が気になり最近はとても嫌で「何で行かなくちゃいけないんだろ💢」って思ってました。当時の僕は、他人よりできないことをコンプレックスに感じておりそれに対して障害者だから「バカにされるのでは?」「嫌がらせを受けるのでは?」などと思い込んでました。
適応への努力期
僕は小学校から少年野球をやっていてその時から親友でもあった友達に中学の野球部に入る前に意を決して自身が障害者であることをカミングアウトしました。僕はそれを知って離れて行くのではないか?変に気を使わせてしまうのではないか?など色々考えましたがその友達からは「でもお前は、お前じゃん」っと言われ終始安堵しました。その友達からは変わらず接してくれる事がすごく嬉しかったのを今でも覚えてます。そのことがきっかけでその他(定型発達)人とも少しづつ交流をする様になりした。
特別支援学級でも少しづつ自分に出来ることから個別に授業などを受け学習を続けた結果少しづつ
それが自信につながったこととできなくても「何でこんなこともできないの?」と他者から否定されたり「こんなのできて当然、当たり前」など言われず周囲からも寄り添ってくれる人達が多かったのとうまくいかなくても(できなくても)あなたはあなたでいていいっと思わせてくれたのが僕にとってはすごく良かったと思えます。
それも踏まえて今では障害も自分の一部だと思ってます。
適応期〔障害の克服〕
今でも苦手なこともありますが自分の中で少しづつ自分にできることからスモールステップでこなしていこうと日々頑張って生きてます。
最後に
ここまで読んで頂けて本当に嬉しいです。
実は僕、小学校の時から文章が苦手でいつも居残りを組でした。中学生になって漸く接続詞や主語、述語、修飾語を覚えたくらい苦手なんですよねー😅でも苦手なら苦手なりに頑張ってnoteを綴って行こうと思いますので今後も宜しくお願いします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?