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“自己犠牲”の背後に隠された心の不安定。
先日、SNSで危ない宗教にハマりやすい人の特徴についての投稿を見ました。要約すると、友達がいない人ではなく、困っている他人を助けたがる人が危ない宗教にハマりやすい傾向があるとされていました。
彼らは自分自身が助けが必要であるという事実を受け入れず、代わりに他人に自分を投影し、心の欲求を満たそうとする傾向があります。このような自己犠牲的な行動は、心理的に不安定な状態の兆候である可能性があるとのことです。
心身ともに健康であるかどうかに関わらず、自己を最優先に考え、自分自身の幸福を追求することが重要という内容になります。
この投稿を読んで、自分も感覚的に納得感を感じます。彼らは自己犠牲的な行動を強迫的に追求し、善人であることにこだわるイメージがあります。
そのような人々は自己の主体性を欠き、本心を抑圧し、他人のために生きることを目指している印象です。自分はこのような生き方に疑問を感じ、彼らの親が本当に自己犠牲的な生き方を望んでいるのか疑問に思います。
おそらく、生育歴を含めた環境が強く影響しているのでしょうが、彼らは自己の本心を押し殺し、自己の必要性を認識することができないのかもしれません。自己を犠牲にしてまで他人を助けることで幸福感を得ているようですが、その幸福感には自己欺瞞の要素が含まれているように感じます。
特に「自己犠牲を厭わず、人々を助けようとするこの行動は、心理的に不安定な状態の兆候となります。」という文に納得感を感じます。
かつて自分も、社会への過剰適応のためか、罪悪感が強く自己犠牲的な生き方をしていた自身に対して妙な苛立ちを感じていました。
現在は、自分の本心を振り返る機会を持つようにしています。
ただ、自己の気持ちに素直になることは、簡単なことではないでしょう。
しかし、人生の終盤に「あの時、ああすればよかった」と後悔を残したくないです。
「自己を最優先に考え、自分自身の幸福を追求することが重要」という内容もあります。自己肯定感が低いと、この考え方は恐れ多いと感じるかもしれません。ただし、公序良俗に反せず、他者に深刻な害を与えない限り、自分なりの幸福を追求することは忘れないようにしたいです。それが結果的に他人にとっても利益となることにつながるのではないでしょうか。
自己を犠牲にしてまで他人を助けることが善であると信じ込むことには疑問を感じます。他人を助けることも大切ですが、自分自身を無視してまで他人の幸福を追求することは、バランスの取れた健康的な心の状態とは言えません。
自己犠牲的な生き方に囚われず、自分の本心に正直になることで、より充実した人生を送ることができるでしょう。自己の幸福を追求することは、自分自身を大切にすることであり、健康で意味のある関係を他人と築くための基盤となると思います。
最後に、ここまで読んでくださりありがとうございます。
読者の皆さんが自己犠牲的な生き方に縛られず、自分の本心に従って充実した人生を送ることを草葉の陰から応援しています。
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