障害開示と合理的配慮の恩恵

 僕は現在の職場で「発達障害(ASD)」であることを開示している。きっかけは職場を紹介してもらう際、「障害のことをオープンにするかどうか。」を聞かれ咄嗟に「開示して大丈夫です。」と答えたからだ。当初は開示することに不安もあったが、これまでの経緯を考えると無理して自分を偽っても結果的に周囲も困惑するし、自分自身が潰れて不適応を起こすので、これまでのアクションを変えたほうが良いかなと自分なりに判断した。

 主治医からは「開示に対しての偏見のリスク」の存在を説明され、開示しなくともやれる素質があると言われていたが、僕は自分を偽り続けることに対し耐性が低いため、あえて障害を開示する道を選んだ。

 結果的に開示して良かったと思っている。現在の職場は医療福祉業界なので障害に対しての理解は一般の職場よりあるのは確かだろう。

 そして何より「合理的配慮」をしてもらえるのが大きい。合理的配慮とは簡単に言えば「特性に応じた環境調整」のことだ。これのおかげで自分自身も無理することが減り、周囲も特性への理解があることで、明らかに不向きな役割は回ってこなくなった。ただ、僕が合理的配慮に甘えすぎることは気を付けなければならないと思う。周囲への感謝の気持ちを持ち続けたい。

 最近、僕自身の中で感じる変化として、「継続して勉強したい。」という意欲が出てきたことだ。障害を知る前までは自分を守ることを中心に意識が向き、クリエイティブな発想なんてものは程遠いものだった。ところが、安心できる環境が整うと、色々と試行錯誤することが楽しめていると感じる。

 僕がこれまでサラリーマンを続けて感じることは、日本のサラリーマン社会が求める人材として、情報交換、表現力、コミュニケーション能力、スピードと正確さが要請されていると感じている。これは実はASDの人にとって最も苦手なことのオンパレードだったりする。そして日本の文化的な枠組みの影響も見逃せないと思われる。気配り、均等性を重視することや同質性や同調性を求める文化があり、突出を嫌う習性も否定できないと思う。これもASDの人にとって特に生きづらさを感じさせる要因かと思う。社会の枠組みの変化はそう簡単なものではないため、今後もどうすれば上手く社会と折り合いをつけられるかを考えていきたい。

 

 

 

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猫男@ASD
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