【発達障害】「当事者を辞める」という決断を考える。
ある投稿者が「もう手帳を返納して1年以上になるし、自分が発達障害かどうかもわからなくなったので、当事者を名乗るのをやめます」とSNSで発信していました。この投稿者は、ASD(自閉スペクトラム症)の診断を受け、支援職としても当事者としても活動してきた経緯があるようです。しかし、手帳を返納し時間が経ったことで、自ら「当事者を辞める」と投稿していました。
今回は、このような背景にある心理的要因や、診断を受けたことに対する整合性について考察してみます。
この投稿者が「当事者を辞める」という決断を下した背景には、自己認識の変化が関わっている可能性があります。発達障害の診断を受け、その後に手帳を取得し、支援を受けてきた経験は、確実に「発達障害者」というアイデンティティを強く感じたのでしょう。しかし、手帳を返納したことで、そのアイデンティティが薄れ、日常生活で特に大きな困難を感じなくなると、自分自身が本当に発達障害を持っているのかという疑問が湧いてくることがあるかもしれません。
また、「当事者」としての活動には、ある種の重荷を感じることも少なくありません。発達障害の支援職として働きながら、自らも当事者であるという立場を持ち続けることは、精神的な負担になり得ます。診断を受けた当時の自分と今の自分の成長や環境の変化によって、以前と同じような「障害者」というラベルがしっくりこなくなったのかもしれません。このような変化が、彼を「当事者を辞める」という決断に至らせたのでしょう。
「発達障害者」として生きることには、周囲からの期待や役割がつきまといます。特に支援職に従事している場合、自らが当事者であることは、他者との共感や支援に役立つ一方で、常に「発達障害者」としての立場を維持し続けることが求められることもあります。この役割が、自分にとって負担となり、最終的に「当事者として生きること」自体に違和感を抱くことがあります。
また時間が経つにつれて、発達障害を抱える自分を支えるという役割から、自由に解放されたいという気持ちが強まってきたのかもしれません。「当事者を辞める」という選択は、そのようなプレッシャーからの解放や、自分自身の役割を再定義しようとする自然な動きの一環と言えるでしょう。
しかし「当事者を辞める」と言っても、発達障害の診断が事実として存在する以上、それを否定することはできません。診断を受けたという事実は、専門家の評価であり、本人がその後に手帳を返納したとしても、障害自体が完全になくなったわけではありません。ただし、発達障害は一人ひとりの特性が異なるため、生活環境や支援の充実、自己成長によって、障害の影響を感じにくくなることも十分あります。
重要なのは、診断を受けたこと自体を否定するのではなく、過去の経験や診断を尊重しつつ、今後の人生にどう向き合うかということではないでしょうか。特性や困難さがあったとしても、それを自己の成長や生き方にどう活かすかが、これからの課題となるでしょう。「当事者」というラベルを外すことは、決して過去の経験を否定するわけではありません。むしろ、その経験を糧に新たなステージでの挑戦を始めるための第一歩だと思います。
この投稿者が「当事者を辞める」と宣言した背景には、自分の成長や変化に対するポジティブな認識があると考えられます。発達障害を抱えつつも、支援を受けながら生活してきた経験は彼にとって大きな財産であり、それを手放すことで、新たな自分を見出そうとしているのでしょう。
発達障害者としてのアイデンティティを超えて、自分の人生をどう歩んでいくか。その挑戦はこれからも続きます。「当事者」を辞めるという選択は、これからの人生で新しい方向性を探る過程で、彼にとって必要な決断かもしれません。
この投稿者の「当事者を辞める」という決断は、自己認識の変化と、自分の役割を再定義する試みの一環として理解できます。発達障害の診断や経験が無効になるわけではありませんが、そのラベルに縛られず、自分の人生を自由に生きたいという願いが込められているのでしょう。診断を受けたことを否定するのではなく、それを糧にして、今後も新たな道を切り開いていく姿勢が大切だと考えられます。
今回は、「発達障害者の当事者を辞める決断の理由」について考察してみました。最後までお読みいただきありがとうございます。