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診断を受けた人が自己改善を放棄することは「悪」なのか?

 精神疾患の診断を受けたことで、自己改善を諦めてしまう人がいると聞くことがあります。しかし、これを「悪」として非難するのは本当に適切なのでしょうか?診断をきっかけに自己改善の意欲が薄れてしまうケースには、個々の心理的な背景や状況が複雑に絡み合っています。ここでは、診断名がもたらす影響について考察し、「自己改善を放棄してしまうこと」に対する適切な見方やサポートのあり方について考えてみたいと思います。

 精神疾患の診断を受けることは、簡単なことではないでしょう。診断を通じて自分の特性や課題を理解し、「自分の苦しみが説明された」と安心を覚える人も多いですが、同時に「自分はこの診断の範囲内でしか動けない」「もうこれ以上は良くならないかもしれない」といった挫折感が生まれることも少なくありません。こうした感情が、「改善を目指さなくてもいい」という心理につながってしまうケースもあるのです。

 診断を受けた際に感じる安堵や挫折の度合いは、人それぞれで異なります。また、その人が診断にどう向き合うかも、自己効力感や周囲からのサポートによって大きく左右されるでしょう。特に、周囲が診断名に対して固定的な見方をすると、本人も「自分は変わらなくていい」という気持ちになりがちです。これは、診断を受けること自体が悪いのではなく、診断に対する理解や対応が偏ったときに起こりやすい現象です。

 自己改善を放棄してしまうことを非難するのではなく、まずはその背景にある心情を理解することが重要です。診断名は、その人の特性を理解し、適切な支援を提供するためのものですが、受け取る側にとっては「このままでいい」という感覚をもたらしてしまうこともあります。

 診断を受けた人が必ずしも自己改善を放棄するわけではありませんが、もしそうなった場合に単純に「努力不足」や「甘え」として非難するのは適切ではありません。そのような対応は、本人が抱える複雑な感情や自己認識を軽視することになりかねないからです。むしろ、自己改善の意欲が薄れてしまう要因を丁寧に理解し、診断名をどう捉えるべきか、どう活用していくべきかについて一緒に考えていくことが必要です。

 診断を受けたからといって、すべての自己改善を諦める必要はありません。診断は決して「ゴール」ではなく、「自分を理解し、自分らしく生きるための手がかり」として活用できるものです。

 診断名がその人の行動や思考を完全に制限するのではなく、むしろ「自分に合った成長の形を探すための道しるべ」となることが理想です。自分の特性を理解し、無理のない形で生き方や働き方を模索していくことで、診断は成長や適応のサポートとして役立つでしょう。たとえば、診断を通じて自分の得意なことや苦手なことがわかれば、自己改善の方向性を柔軟に見直し、より自分らしい生き方を見つけやすくなります。

 そのためには、診断を受けた本人が「診断名に縛られない」という意識を持つことが大切です。診断名をただの「ラベル」として捉えるのではなく、「どうすれば自分にとって最も適した生活や成長が実現できるか」を考えるツールとすることで、診断の意味がより前向きに変わっていくでしょう。

 診断がきっかけで自己改善を放棄してしまうケースがあったとしても、それを単純に「悪」として非難するべきではありません。診断を受けた人が感じる安堵や挫折感を理解し、支援を提供することで、診断名が持つ本来の意義を取り戻しやすくなるはずです。周囲もまた、診断を固定的な「ラベル」として扱わず、診断を生かした適応や成長の支援を提供することが求められると思います。

 診断名に振り回されることなく、「良くなるための道しるべ」として診断を主体的に活かすことができれば、より充実した生活や自己実現に近づけるのではないでしょうか。


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猫男@ASD
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