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「すごいOTになりたい」と息巻くその心の裏側

 皆さん、こんにちは。今日はSNSで見かけた言葉で妙に気になったのがあったのでご紹介します。

「凄くなりたいひとって、根拠のない劣等感があるんだよな。だから、自分を守るために『凄さ、というナイフ』を手に入れようとする。でも、いつの日か凄くなってしまうと、その『護身用ナイフ』を、ひとに振りかざすようになる。怖がりだから、ぜんぶ敵に見える。凄くなっても劣等感は消えない。」

 この言葉に深く共感した出来事があったので、今回はそのことについて書いてみようと思います。

 昔、「すごいOT(作業療法士)になりたい」と息巻いている人を見かけました。その言葉には強い決意と情熱が感じられましたが、同時に何か違和感を覚えたのも事実です。その違和感が何なのか、当時はピンと来なかったのですが、先の言葉を読んで、その理由が少し見えてきたように感じます。

 「すごくなりたい」という強い願望は、時に「根拠のない劣等感」から生まれることがあるのではないでしょうか。自己評価が低いと感じている人は、自分の内側にある不足感や不安を埋めるために、外部からの評価を求めます。それが「すごさ」を手に入れたいという欲望につながると思われます。作業療法士として「すごい」と認められたいという欲求も、もしかしたらその人が持つ劣等感を埋めようとする努力の一環なのかもしれません。

 しかし、そうした「すごさ」を追求し、それを実際に手に入れたとしても、内面的な劣等感が消えるわけではありません。むしろ、その達成した「すごさ」が自分を守るための手段、つまり「ナイフ」となり、それを他人に振りかざすようになることがあります。なぜなら、劣等感が根底にあるために、他人を敵視しやすくなり、防衛的な態度を取ってしまうからです。

 このように、「すごさ」を追求することで得られる成功は、内面の問題を解決するための一時的な逃避にすぎない場合が多いです。自分が「すごい」と認められることに一生懸命になるあまり、本当に大切なものを見失ってしまうこともあるのではないでしょうか。

 もし、自身が「すごい○○になりたい」という欲望に突き動かされているとしたら、その欲望がどこから来ているのか、そしてその欲望が他者との関係にどう影響を与えるのかを考えることは、とても重要です。劣等感や恐怖心がベースになっているのであれば、それを克服するためには、外部の評価や「すごさ」ではなく、内面の安定や自己受容が必要となるでしょう。

 私たちが追求すべきは、他人に認められることではなく、自分自身と向き合い、自分を受け入れることだと思います。それができて初めて、本当に心から満足できる人生を送ることができるのではないでしょうか。

 今回は、「すごいOTになりたい」と息巻いていた人とのエピソードを通じて、劣等感と成功願望の関係について考えてみました。
 もし、読者の皆さんも、自分の中にある「すごさ」への欲望がどこから湧いているのか気になれば、少し立ち止まって考えてみるのも良いかもしれません。

 最後までお読みいただきありがとうございます。

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猫男@ASD
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