ラスト・トリックの研究
※浅田さんが、10年前に書きなぐっていたマジックの研究文章を発掘したので当時のままの(5分くらい手直しはしたけど)形で、しばらく掲載しまくるシリーズ。
<ラストトリックについて>
はじめにラストトリックという名前について。自分は研究家ではないので、これが正しいのかといった論議はわからない。ただ、すくなくともこの名称が一般的に広まっているので、ラストトリックと便宜的に呼ぶことにする。
原案やDLをつかうもの、細かなハンドリングはいくらでもあるけれど、とくに技術的な面での話はしないので「Aが入れ替わる」現象をひっくるめての総称とする。
この作品は本当によくできた小品だとおもう。
四枚のAを出したあとで、とりあえずこのマジックをおこなうマジシャンも多いだろう。短い時間で、気軽にでき、それでいて不思議。まさに良いところずくめのトリックである。だから、これをむりくりに大それた演技とするのは難しいようにおもう。あくまで小品としての優秀さを追求した方が良いのではないだろうか。
しかし、あまりにも手軽にできるために、自分もついつい演じすぎてしまい、あえてこれを演じないように禁止していたことすらある。それほどまでに演じてきたトリックなので、それについて考えたところをいくつか書けたらなとおもう。
<赤か黒かで、どう観客の受ける印象は違うのか?>
ラストトリックにおいて、はじめに場にだされるカードは、赤と黒のどちらにするべきかという問題である。自分はこれを「色」という点において考察してみる。
最初に考えなくてはならないのは、赤と黒の色の違いについてだ。
この違いについて、ライトトーナス値という色彩学上の指標をつかう。これは、端的にえば「光に対する筋肉の緊張度合い」を表す数字である。
ライトトーナス値の高い色は、見る者に緊張や興奮を与える。逆に値の小さい色は弛緩、沈静を与える。
そして、これについて考えると、赤は色のなかではもっとも値が高く、黒のほうが値は低い。赤は人間にとって存在感が重い、価値が高い、と言い換えることができるだろう。
つまり赤から黒に変化することは「喪失」で、黒から赤に変化することは「出現」なのである。プラスからマイナスへの変化と、マイナスからプラスへの変化の違いだともいえる。
では、この考えをもとに、初めに場に示される二枚のカードは赤であるべきか黒であるべきか。演出や、スペードのAのサイズを除外して考えるとき、自分は赤から黒への変化を採用する。
「喪失」か「出現」のどちらをとるかにおいて。場に存在していたものが消えることは、非常に簡潔でピュアな現象である。
比べて、余計なものが新たに出現することは、いささかシンプルだとは言い難いように感じるのである。先ほど存在していたものに加えて、第三の存在が場に出現することになるから。
つまりは観客の脳が理解しやすい方を採用した、ということになる。それがインパクトに直結するのではとおもったのだ。
例えば観客の気持ちになったとして。手の上に二枚のカードが置かれているとする。これが黒から赤になって〝なにかがあらわれた〟印象がするのと、赤から黒になって〝なにかが失われた〟ように印象とでは、後者のほうが深い衝撃がうまれるような気がしたのである。
これは完全に主観であって、自分はそうおもう、というだけのことではある。しかし以上より、自分はラストトリックにおいては、赤いカードが黒に変化するように演出している。
<黒から赤へのベクトルが生まれる>
以上の「①赤と黒の価値の違い」に、さらに考察を加えてみる。
カナダのマジシャンである、ギャリー・カーツ氏の提唱していた「②ベクトルによるインパクトの違い」である。
たとえば観客に対して「下への動きよりも上への動きの方が優先する」「後ろよりも前への動きの方が優先する」という認知心理学的な理論だ。
これらは、生物の本能の反応によるのだろうとおもう。
自分から遠ざかる、下がって動くものよりは、近づいてくる、上昇してゆくものに注意をむけるのは理にかなっている。そちらに注意を向ける方が危険を避けられるから、そのように生物は進化したわけだ。
さて、これら①と②を無駄に組み合わせると、どのようなことが考えられるだろうか。(注・本当に昔の自分は狂っていたなと思います)
結論からいうと、変化・交換現象に「方向」が生まれるのである。
マイナス地点からプラス地点へ、黒から赤へ、エネルギィの移動を見てとることができるだろう。
例えば、観客の手の上に赤いAを置いて、それがマジシャンの持つ黒いAと入れかわったとする。観客のカードが黒くなり、マジシャンのカードが赤くなるのである。だとするならば、その時の変化・交換現象には「観客の手のプラスのエネルギィが、マジシャンの手に飛び移った」という動きになる。
それは観客の手からマジシャンの手を結ぶ直線である。
では、その直線あるいはベクトルを、どのように利用するべきだろうか。
そこで、②の理論を採用するのである。あくまでインパクトを重視するのであれば、観客にとって危険なベクトルを採用してしまうのだ。それは、観客へと向かうベクトル、あるいは下から上に向かうベクトル、ということになるだろう。交換前のそれぞれのカードの位置を調整することで、交換後のインパクトを増やすことができる。
それが、ラストトリックを最も衝撃的にするための策略になる。けれども実際は、他の要素もからんでくるので、そう簡単にいくわけでもないだろうと。ただ単に思考実験ぐらいにおもってもらえるとありがたい。
<演出について>
ラストトリックは四枚のAだけで完結するマジックとして非常に優れているが、気になることがないわけではない。
それは利点の一つでもあるけれど、現象のすばやさである。「今から四枚のAを使ったマジックをします」といってから現象の終了までが、なんとも短いのである。それも現象の回数は、一回のみ。もはや手順で魅了するというよりは、びっくり箱に近いようにおもう。
そう、あまりにも簡潔すぎることが気に食わない。かといって切り捨てるには惜しいマジックだともいえるので、それについて自分はどのように演じているかを述べる。
基本的な発想としては、徹底的にびっくり箱にしてしまうことにある。一つのマジックとしてルーティンに入れるまでもない、といった存在にまで軽量化してしまう。例えるなら、カードにサインをしてもらう前に、ジョークでペンを消して見せるようなもの。場に四枚のAが出現したとして、
「ここに四枚のAが出ました。トランプは占いの道具でしたから、マークにはそれぞれ意味があります。まずそれを紹介します。手を出してもらってよろしいですか」
・観客に両手を揃えて出してもらう。テーブルの上でも良いけれど、自分は状況が許すのであれば、観客を前に出してでも、手の中でおこなう。
「一枚目はハートですね。ハートは愛の象徴のカードです」
・観客の手の上にハートA(のはずのカード)を置く。
「二枚目、同じく赤いカードですね。ダイヤはお金です。お金の象徴のカード」
・先ほどのハートのAの上におく。
「さて、次はスペードですが、二枚の黒のうち、上と下のどちらだとおもいますか?」
・左手の二枚を自分だけちらりと見たあとで、唐突に観客に質問をする。もちろん二枚とも赤いAだけれど、そのうちのどちらがスペードだとおもうかを尋ねる。あまり深く考えさせずに、なんでもないことのように質問する。
「確かめてみましょう。あぁ正解ですね」
・観客がなんと答えようと、マジシャンは観客のカードの上で指を鳴らし、一気に二枚をめくりスペードとクラブを示す。そして驚きのなか「上ですから正解ですね」「下だから残念でしたね」なんてとぼけながら洒落を言ってみせる。
「そしてこれがスペードで、こちらがクラブになります。以上、Aのマークの紹介でした」
・さらにその空気のなか、スペードとクラブについても紹介してみせる。ここで観客は、一連の流れがマジックのプレゼンテーションだったと知る。
マークの紹介をするついでに、ちょっとしたサプライズをプレゼントするといった演出である。しっかりと構えてマジック披露するというより、ほんの余興、ついでのサービスくらいのものである。そしてあくまで不思議がおこっても、とぼけてみせる所がポイントだろう。そのおかしさが、「これは演出だったのだ」と観客に気づかせることになるから。以下に、もうすこしポイントをあげてみる。
●二枚目をみせるときに「同じく赤いカードですね」というセリフは必須だとおもう。でないと、なぜそんなにハートやダイヤだのと、都合のよいカードを出せるのかと思われてしまうから。もちろんそれはセットしてあるからなのだけれど、そんなことを感ずかせたくはない。赤いカードの二枚がはじめにでたのは偶然である、というぐらいがちょうど良い。さらには、色という概念をあらためて認識させる意味もある。
●三枚目のときの上下について尋ねる質問も、色についての位置関係を把握させるのに役立っているだろうとおもう。「どちらがスペードでしょうか」という質問は「二枚とも黒いカードである」という事実を前提にしているので、観客のなかにしっかり位置関係を認識させることができる。そしてそれはミスコールをよりばれにくくする効果もあるだろうとおもう。わかりにくいが(だからこそ巧妙だとも言える)大切なことなので繰り返すが、まったく別のカードを手にしながら「これらは黒いカードです」と言うのと「どちらがスペードでしょうか」という質問では、後者の方が「二枚とも黒いカードである」ということを前提している文脈なだけ、より間接的で巧妙な言葉であるといえる。
●一連の流れは、全くマジックとは関係なしの単なる雑談、といった風合いで語られるべきである。観客がマジックだとおもっていないところで、おこなうから効果があるのであって、なにかがおこるぞという空気を作りすぎるのは得策ではない。不意を突くサプライズであって、はじめて効果が発揮されるのだから。観客のまったく無防備なところを襲うのだ。これはマジックの攻撃力を上げるよりも、観客の防御力を下げるという発想である。
●クラブとスペードを返すときには、一気に広げてみせ、即座に観客の両手に放ること。その際、マジシャンはあまりカードに触らないほうが良い。インパクトを少しでも底上げするためには、間違っても一枚ずつ表向けるようなことはしなくても良い。
以上のように、自分はラストトリックをあえて手軽に用いてしまうというのが、最近の好みである。
もちろんラストトリックの演出としては、このように軽くするのではなく、逆に重くしてしまうという考え方もあるだろう。つまり、事前にカードの入れ替わりの現象なんかを足して、最後にこれをおこなうようにする、などである。正直、こちらの発想については好みではないので、あまり考えたことはない。良くも悪くもラストトリックは一発芸であって、事前に似たような現象をいれてしまうと、せっかくのインパクトが薄れてしまうようにおもえるのである。四枚のAだけで演じられるトリックのなかでは、おそらく最高度に観客を驚かせることができるものとしては、その衝撃を尊重したい。
<Love or Moneyの演出を失礼にならないようにする工夫>
ラストトリックの名演出といえば、やはりこれだろう。観客に、愛とお金のどちらが大事なのかを尋ねたあとに、欲張るとどちらも失ってしまうのだと言ってみせるこの演出には、粋なユーモアがある。こんなマジックがたった四枚のAだけで演じられるのだとしたら、もうなにも文句は言えない。
自分も上の演出、とすらもいえないようなアイデアで物足りないときには、このLove or Moneyをおこなう。そのときにも上記のような理由から、マークの紹介のついでに愛とお金についての質問をする、くらいの雰囲気で演じるようにしている。
そう、上記で言いたかったのは「さらりと演じてみせよ」というだけのことであって、このように、その他の演出といくらでも併用可能なのである。
そんなLove or Moneyの演出について、観客に失礼のないように、自分がいつも気をつけていることがある。(注・いまでもめちゃ大事にしてる!!)
それは、愛とお金について尋ねたあとで、観客がなんと言おうと「もちろん正解はなく、どちらを選んで正解でしょう。愛こそすべてだという人もいれば、現実的にはお金も必要だろうという人もいるからです」と言って、すべての観客を否定しないようにして、さらに「けれど、気をつけないとけないことがあります。いろんな物語をみるに、欲張ってどちらも手に入れようとした人に限って、どちらも失うことがあるからです」と言うようにしている。これはどういうことかというと、愛とお金を失ってしまうのはその観客ではなく、どこかで読んだ物語の欲張りな人物だと主張しているのである。
そして現象のあとに、自分はいつも「まぁ、あなたならそんな心配はなさそうですけれどね(注・現在では〝あなたには全てが舞い降りるように祈っております〟と言ってます)」といって、手元のハートとダイヤのAを、観客の手のなかにおくようにしている。
これで、あなたは「愛とお金を失う」という縁起の悪い立場ではないのだと、むしろ逆なのだと暗に観客をもちあげる。
これで観客の手の中には、黒いAの上に、赤いAがおかれて、四枚すべてがそこにそろっている。そして「どうぞお調べください」と、終えることが可能になるのである。
※まだまだ発掘した文章を投稿するモチベーションがほしいので、よかったら、このツイートを感想をつけて引用RTしてほしい〜!!そしたら頑張れます!!マジで!!まだまだ大量にあるねん!!