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九月日記①

ぽちぽちと、書いてみる。

私は人生を霧に囲まれた道だと思っていて
ふと気付いたら一歩先は崖、みたいな瞬間がよくある。
崖の前でじっと考える。ここで終わりにしようか。
昨日は楽しかったし今日は美味しいものを食べた。もう満足だ。
この先もっと楽しいこともそりゃあるだろうけど
どこで終わったって本質的にはそんなに変わんないだろうし。何よりもう肉体が重い。

しばらくじっと覗いて
いつでも諦める。
母が泣くだろう。恋人が空っぽになるだろう。親友が支えの一つをなくすだろう。
諦めてのろのろ違う道を行くことを決める。
最初はとにかく胸が重い。虚無でいっぱいになって(不思議な日本語)毎日倒れ込むように寝る。
そうしているうちにふと、リズムに乗って歩けるようになる。そしてまた一つ崖を越えたな、と思う。

その崖を越えた実感があったのがちょうど九月の始まりだったので
九月日記など書いてみようと思ったのです。

9/1
死にそうなときに「殺戮にいたる病」を読んだ。
ずっと読みたかったんだよね。
何を言ってもネタバレになる類の本なので何も言えないけど
きっとこれは有名なので言ってもいいかなって思うんだけど
ラストに注目!系の本なんだよね。
だから騙されないぞ、おかしなところは見逃さないぞって気持ちで目を光らせて読んでたんだけど
騙された。こりゃ無理だ。初見でこの可能性を考えながら読める人って世界のどこかにはいるんだろうか。いたら話してみたい。きっとその人は見てる世界が違う。
夢中で初めから読み直して
何て言うか、見てる世界のことを考えた。
よく言われることだけど人間は本当に見たいものしか見ていないな。
これと思ってしまったら、すべてをその解釈で見てしまう。
1回目に読んだときと2回目に読んだとき、これは違う本だった。

翻って
私は「自分がうつだ」という世界を作って生きているのではないかと思った。
お医者さんにそう言われたわけでもないのに。
まずはそれをやめてみようと決めた。
「うつ」で「死にたがり」のフィルターをかけるのを。
残念ながら感覚が敏感なことは確かだけど
そしてそれを活かせる能力がないことも確かだけど
うつではない。
胸の内の虚無をすぐ「死にたい」と名づけるのもやめよう。真っ直ぐ「胸が重い」でいいんだ。幸せなことに朝から胸が重いことはほとんどないし、つまりそれはただの疲れでいいんじゃないだろうか。疲れてる→早く寝ようで。

9/2
最近仕事から帰ってからすぐおやつとスマホを抱えて座り込んでしまうのを嫌に思っていて
打開策を考えてみた。
そもそも夕方は日中にドーパミンとかを使い尽くしてきていて、動き出しづらい時間帯だそうな。
そんなときに1番間違っているのが、やる気にすがること。
脳は省エネが大好きなので0から動き出すことをとにかく嫌う。でも言い換えればそれは0にさえしていなければ動けるということ。
というわけで①脳内物質が豊富な朝に②最初の一歩(米の計量)を済ませてしまうことにした。
そうしたら!帰ってきてから面白いくらいに動ける動ける。米をセットしてしまえばそのままの流れでお弁当箱も洗えるし、晩ご飯の支度もできる。これだ。

そう言えばもう1つ最近日課にしてるのが
帰りに一度家とは反対方向に向かって
土手を通って帰ってくること。
ちょうど夕焼けまではいかない水色とピンクが混じった空が可愛いんだよね。
あのピンクは何色って言うんだろうなぁ。胡粉ネイルの水茜みたいな色。
利き酒みたいに効き色があればいいなと思う。ああこれは何色です、って。教えてくれる人が。

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雪下 月
サポートありがとうございます! 読んでいただけたことが、とても嬉しいです。 これからも一緒に夢を、見ませんか。 心からの感謝をあなたに。