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約束。

この人は、本当によく泣いている。
アタシをのぞきこんでは泣いて、抱きしめては泣いて、帰りが遅くなったと言っては泣くの。

そういうアタシは、最近夜暗くなると、大きな声が出ちゃうの。
気づくとわぁわぁ言っていて、困った顔のあの人がアタシを抱っこする。
そうするとね、不思議とホッとして、我にかえるのよ。
あら、なんで泣いてたのかしら?って。
あったかいあの人のからだにぴったりくっついて、眠くなってきちゃう。
もうなんにも怖くないぞ!って思う。

アタシもね、赤ちゃんのころは怖いものなんてなんにもなかった。
毎日が快適で、あの人と、もうひとりと、「お兄ちゃん」がいてね。
お兄ちゃんが大好きだったんだけど、あるときから帰ってこなくなったと思ったら、知らない人を連れて、ときどき帰ってくるようになった。
誰だろうって思ったけど、楽しそうだった。毎日おうちに帰ってこなくなったのは寂しかったけど。
もうひとりは、長く帰ってこないことがある。
でも、また帰ってくる。
お父さん、っていうみたい。
お父さんは、アタシを抱っこするときおっかなびっくりだから、アタシもなんだかおっかなびっくりでね、すぐ離して!ってなっちゃう。
でも、遊びが最高に面白くって、いつもアタシのほうから遊びましょう!って、お誘いするの。それはそれは、楽しいのよ。


近頃は、びょういん、とかいう怖いところに連れて行かれてるんだけど、
そこではあの人とはなればなれにされて、チクッといたいのを刺されたり、おしりのあたりを触られたり!もう、失礼しちゃう。
早く、早く、早く、あの人のところに帰して!って思いながら、がまんしてる。
やっと、あの人の声が近づいてきて、飛びつきたいんだけれど、小さな箱みたいなところに入れられていて、飛び付けないから、一生懸命においをかいで、あの人を確かめてるわ。
もう、会いたくて会いたくて…
おうちに着いて、小さなところから出てきたらあの人に抱っこしてもらう。
もう大丈夫だっ!って思うわ。そしたら、急にお腹がすいてきちゃった。
あの人はすぐ、おやつをくれる。わかってるなー♪
でもまた、ごめんねって言いながら、泣いてるけどね。

アタシは、あの人を笑わせるために来たって、わかってるのかしらね。
まだ笑わせ足りないなら、いくらでも、アタシが笑わせてあげるのに。
泣かないで。
泣かないで。

アタシ、もう少ししたら、「約束」があって帰らなくちゃならないの。
大事な約束なの。
でも、もうひとつ大事な約束があって、それはあなたを笑わせることなのよ。果たさないと、約束の主に怒られちゃうわ!

ねぇ、笑って。
でもね、
泣いてても、笑ってても、アタシの記憶がとぎれても、愛してる。
大事なアタシの、お母さん。


〜約束〜

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