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[推し本]楽園の夕べ(ルシア・ベルリン著、岸本佐知子訳)

「掃除婦のための手引書」「すべての月、すべての年」がもう痺れるカッコよさで、もうこれ以上ルシア・ベルリンの作品は出ないと思っていたのですが、まだ短編集が残っていたとは!大袈裟ですが生きてて良かった!岸本佐知子さん、ありがとう!という感じです。

*以前ご紹介した二冊はこちらです。

「楽園の夕べ」では、子供時代から少女時代、若くして母になった10代後半、夫も住む場所も次々変わる20代、子育てがひと段落した中年期以降を俯瞰するような短編の流れで、またまた痺れるカッコよさ。

前作を読んでいる方ならもうおわかりでしょうが、ルシア・ベルリンの人生は一人の人間が味わうには酷い出来事が多すぎるんですよね。三人の夫も妊娠中に捨てられるとか、ヤク中とか、客観的にはろくでもない輩ばかりで、常にマリファナが漂い、ルシア本人もアル中で恋多き女性。なのに悲壮感やしみったれた惨めさがない物語ばかりで、なぜだか生きる勇気を注入されるんです。あれこれ仕事をしながら4人の子供を育てて、でもこの表紙の女優のような生活臭のない写真。いや、ほんとに、どうやったら!?と二度見、三度見します。

「夫にコーヒーを渡すときに、彼のほうにカップの持ち手を向けて自分は熱い部分を持つようなことをした」の一節にもうズキュンとやられる。あえて波乱に富んだ人生を送りたかったわけではなく、ナイーブで世間知らずな女の子がそこにいた。

Story is the thing. 物語こそがすべて。

書かれたことはほとんどルシアの実際の経験によると思います。しかし物語の中では、ベラだったりマヤだったりジェーンとして、あるいは他者の視点から客観的に描くことで、おそらく浄化しているのかもしれません。そうでもしないと生きていけないほどだったのかもしれないですし、一種の解離かもしれませんが、それがルシア・ベルリンの創作の源泉でもあります。

何があっても母に守られ愛された息子たちのうち、長男のマークにとっては、何が起きてもどこに住んでも母がHomeだった、というあとがきにもまた物語性があり、そのマークは、ルシアが自身の誕生日に亡くなった翌年に亡くなったんですよね。。

間違いなく、一生のうちに出逢えてよかった作家のベスト一桁に入ります。

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