聖域 #6
帰りの電車の中。リョウコは僕の肩に頭を乗せて目を閉じていた。僕はなで肩なのでどうやら頭を乗せやすいらしい。
「佐々木さんにね、言われちゃった」
リョウコが目をつむったまま不意に話し始めた。
「好きだって、あたしのこと」
僕は思わずリョウコを見た。リョウコも僕の肩から頭を離して、上目遣いに僕を見て、いたずらっ子のように冗談だよと言って微笑んだ。
「ご免ね。佐々木さんがそんなこと言うはずないじゃない」
「じゃあ何でそんな冗談言うんだよ」
「試したかったの。お芝居やってる私のこと、嫌いになっちゃうかも知れないなって思って」
再びリョウコが僕の肩に頭を乗せる。
「今日のケンちゃん、ずっと何か考えてるみたいだったからさ」
リョウコはずっと僕を気にしていたのだろうか。そんな傍から見ても分かるくらいに僕は難しい顔をしていたのだろうか。
「ぜーんぶを守りながら、何かをするって、とっても難しいことなんだ」
電車の揺れが気持ちいい。僕たちは揺れのリズムに身体を預けていた。
「私たちって、いつも何かを引き換えにして舞台に立ってる」
「……」
「って佐々木さんが言ってた。そうかなって思った。時間とかお金とか友達とか仕事とか、そういう大事なものと引き換えに舞台に上がってる。だから一所懸命になれるし、趣味じゃ終われないって……あたしが引き換えにしてるものって何だろ。やっぱケンちゃんなのかな。ねえ」
「うん?」
「ごめんね……」
車掌のアナウンスが終着駅、西武新宿駅を告げる。
扉が開く。
疲れ切ったサラリーマンが乗りこんでくる。
君たちだけじゃない。みんな何かを引き換えにして生きてるんだ。あそこで酔っ払ってる人も、熱心に文庫本を読んでる人も、スマホをいじりながらうたた寝している人も、塾帰りの中学生も、みんな何かを……
「少し歩こう」
ようやく僕たちは席を立った。
小太りの男が怪訝な顔をして僕たちを見ていたが、空いた席にちゃっかりと座るのが見えた。
西武新宿駅からJRの新宿駅まで僕たちはゆっくりと歩いた。少し風が出てきた。酔い覚ましにはうってつけだった。
リョウコは終始僕の腕にしなだれかかっているばかりだった。
「疲れてる?」
そう聞くと、リョウコは小さく首を振った。
「逃げ出さないように、捕まえてるの」
僕は薄く笑った。
いつか逆の立場になって、同じ様なセリフを僕が言うようになるかもしれない。
だって君は誰にも捕まらない、山猫なんだから……
僕はリョウコの肩を抱いた。リョウコの肩はやっぱり小さかった。