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聖域 #12

 舞台ソデで蓄光テープを貼っていると、楽屋で手伝って欲しいとリョウコに頼まれた。衣装関係で手伝えることはないよと言うと、まあいいから来てと強引に連れて行かれた。
「ケンちゃん、結構うまいんですよ」
 雑然と衣装が広げられた楽屋は足の踏み場もない、さながら戦場のような有様だった。その中央で眼鏡をかけた加納さんが針仕事をしていた。
「へえ、人は見かけによらないじゃない」
 針仕事の手を休めて、加納さんが僕を見る。
「あの、裁縫はまったく駄目で、家庭科も成績良くなくって」
「裁縫じゃないの。あっち」
 リョウコが指差す方を見ると、アイロン台が用意されていた。
「神保さんが遅れちゃうんだって。それでどうしても人手が足らないのよ。アイロンがけ得意でしょ。ねえ」
「ねえって言われても」
「悪いわね」
 と加納さんに頼まれたら断れない。じゃあ、やりましょうということになった。
 これでも学生時代は一人暮しで結構なんでもやったのだ。
「森君とか、ああいう性格だからズボンなんか丸めて紙袋にポイでしょ。シワシワで大変なの」
「そうすか」
 僕はヨレヨレになったズボンを台の上で伸ばして、アイロンのコードをコンセントに差し込む。程よく熱くなったところで早速アイロンがけに入る。
「ホント器用ねえ。リョウコの彼氏にしとくのはもったいないね」
 加納さんが僕の手先を見つめる。
「料理なんかも得意?」
「そっちは全然」
「私も料理は全く。いっつも怒られちゃう。今度リョウコに教わろうかな」
「あ、味噌汁だけは教わらないほうがいいですよ」
「もー、あの時だけでしょ」
 と、リョウコににらまれる。
「そう言えば、加納さん結婚してたなんて驚きましたよ。ずいぶん突然だったんですね」
「うん。自分でもびっくりするくらい、突然だった」
「でもずっと付合ってたんでしょ」
「ううん。一ヶ月くらいかな」
「電撃結婚じゃないですか」
「何となく、だったんだけど。それまで付合ってた人といろいろあって……」
 いろいろあって、か。そう言えば劇団を辞める遠藤さんもいろいろあって、と言っていた。いろいろある人がたくさんいるのだと思った。まあ、ない人の方が珍しいのかもしれない。僕だって、やっぱりいろいろあるんだから。
「なかなか旦那さん紹介してくれないんだよ」
「だって紹介するほどじゃないから。普通の人だよ。本当に普通の人。でもその普通っていうのが一番魅力だったりするのよね、こういうことやってると」
 裁縫を続けながら加納さんがそう言った。眼鏡が反射して、その表情まで読み取れなかったが、僕には加納さんに何かあったような気がして、そしてその何かが加納さんに結婚を踏み切らせたような気がして、その後のアイロンがけに集中できなかった。
 しばらくして、スーツ姿の森君が飛び込んできた。
「お待たせです。うわっ相変わらず足の踏み場もないっすねえ。小道具何処に置けばいいかなあ」
 と、言いつつ足で衣装を横にどかしながら、勝手に小道具置き場を作ってしまった。
「あれ、ケンジさん、何やってるんですか?」
 今ごろ気付いて目を丸くする。
「見りゃ分かるでしょ。アイロンだよ」
「じゃなくて、会社は?」
「休んだ」
「へえ、結構なご身分で」
 どこかの誰かと同じセリフを口にする。
「ははぁ手伝わされてますね。まったくリョウコちゃんも人使いが荒いなあ」
「あたしじゃないよ。佐々木さんに頼まれたの」
「ケンジさん、気をつけないといつの間にか劇団員にされちゃいますよ」
「大丈夫。あたしが断るから」
 リョウコが胸を反らしてそう言った。彼女は僕が劇団に入ることを望ましく思っていない。加納さん風に言わせれば、リョウコも僕に「普通」の部分を求めているからだろうか。
 加納さんが裁縫を一段落させて舞台へ降りて行った。
 僕とリョウコと森君が楽屋に残り、話しの流れが自然と加納さんへと移った。一番最初に口火を切ったのは森君だった。
「加納さんも結婚しますかねえ」
「どういうこと?」
 僕が聞く。
「だって、ありゃ当て付けみたいなもんじゃないですか」
「当て付け? 誰に?」
「誰にって、そりゃ、ねえ」
 と、森君がリョウコを見る。リョウコは曖昧に首をかしげた。
「もういいじゃない、そういう話しは」
 明らかにその話題には触れたくないようだった。
「当て付けって誰にさ」
 僕は好奇心がうずいて、話しの先をうながした。
「知らないんですか? 言ってないの?」
 と、再びリョウコを見る。
「別に話すことじゃないし、ケンちゃんには関係ないでしょ」
「まあ、そりゃそうだけど」
「何だよ。言ってみな。気になるじゃんか」
「加納さんが電撃結婚した理由ですけど……」
「もういいじゃない。私たちには関係ないでしょ」
 リョウコが遮る。そういう態度を気にしてか、森君は僕に近づいて耳打ちしてきた。
「加納さんって、遠藤さんと付合ってたんですよ」
「マジで?」
「マジマジ。で、どういう理由だかわかんないですけど別れちゃって。それでいきなり全然知らない人と結婚ですからねえ。遠藤さんへの当て付けでしょ、これは。辛いんじゃないかなあ」
 いろいろってそういうことか。遠藤さんのいろいろと、加納さんのいろいろというのは同じだったんだ。
 劇団という狭い世界でも複雑な人間関係があるのだと思った。
 ただ純粋に芝居をする集団なんてありえない。男がいて女がいれば当然そういう話しだって出てくるわけだ。
 遠藤さんが劇団を辞めるという話しは森君やリョウコは知らない。きっと知ったら知ったで、また加納さんとのことが話題になるだろう。まさか加納さんが遠藤さんへの当て付けで結婚したとは思えないが、遠藤さんが劇団を辞める決心の一因に加納さんの結婚が挙がるのは否めないだろう。ならば加納さんはどうするんだろう。今までと同じ様に劇団に留まるだろうか。
「どうしたんですか、急に黙っちゃって」
 森君が僕の顔をのぞき込んできた。
「いや、ちょっと」
 僕はアイロンのコンセントを抜いて、視線をそらす。
 リョウコが、余計なこと聞いて、という目で僕を見る。僕はリョウコの視線を直視出来なかった。
 第三者という立場のせいか、余計なことを聞きすぎたかもしれない。きっとまた佐々木さんを見る眼が変わりそうだ。こう言う問題を一番分かっていて、一番頭を悩ませているのが佐々木さんだからだ。
 森君は、まあ僕の勝手な憶測ですけどね、とフォローにもならないフォローを言って小道具の整理に取りかかり始めた。加納さんが戻ってきた。僕たちは当たり障りのない会話を始めた。少しぎこちなかったけれど。

 夕方になってキョウちゃんとカナちゃんがやってきた。
「期末テストどうだった?」
 早速森君が声をかける。
「もー、サイテーでしたぁ」
「やってらんないって感じ」
「まあ、テストが全てじゃないしな。女の子は可愛ければ生きて行けるから」
 森君がお気楽な励ましの言葉をかける。
「あのねー 今そういう発言駄目ですよ。ルッキズムの時代ですからね」
 カナちゃんが唇をとがらす。
 遠藤さんが近づいてきて、客席を作ってくれないかなと頼んだ。はぁーいという返事と共に二人はテキパキと長椅子を並べ座布団を並べて行く。慣れたものだ。
 そこへ神保さんがアタフタと駆けつけてきた。
「間に合った? 大丈夫?」
 朝からやってるのに間に合ったも何もないもんだと思うが、汗を流してかけこんできた彼女に嫌味をいう気にもなれない。はぁはぁと息をついている彼女はより一層若く、まるで子供みたいに見えた。
「ちゃんと神ちゃんの仕事はやらずに残してあるから」
 森君が茶々を入れる。
「やっとけっつうの」
「神保さん、メイクの用意手伝ってくださーい」
 早速リョウコが声をかける。
「はいはーい!」
「みんな! 場当たり、六時半からだぞ! いいな!」
 佐々木さんの声が劇場内に響く。それぞれの場所から、はーいと返事が返ってくる。
 場当たりとは、照明や音響のきっかけを確認する作業で、主に照明の転換場面や、音響きっかけで役者がセリフが言ったりする場面を抜き出して行う。特に照明は今までの稽古ではイメージしか確認できないため、この場当たりが最初の練習と言える。役者も、初めて照明の中で演技をし、暗転を経験するのだから手は抜けない。どんな芝居でも蛍光灯の下で見るのと照明の下で見るのとでは内容の差がはっきり分かる。音響もまたしかり。つくづく芝居は共同作業なのだと実感する。
 舞台上では早くも照明さんがチャカチャカと目まぐるしく照明転換を練習している。
 やがて時間となった。
「客電消しまーす」
 照明さんの一言で、蛍光灯が一斉に消される。一瞬劇場内が闇に包まれ、舞台の照明がサァーと明るくなる。地明かりと呼ばれる素の明かりがまぶしい。いよいよなんだな、と思う。照明に照らされた舞台セットが一段と輝いて見えた。
 楽屋から役者がぞろぞろと出てくる。
「いいか、毎回言ってるけど、場当たりだからって手を抜くなよ。間違っても許される稽古はこれが最後なんだからな」
 佐々木さんが一喝する。
「明日のゲネプロは本番と同じだからな」
「はーい」
 明るい声が揃う。まだみんな緊張はしていないようだ。ちらほら笑顔が見える。リョウコも神保さんとヒソヒソ小声で何か話し合っては笑っている。一番緊張しているように見て取れるのは田野倉君だった。さっきから腹式呼吸の練習をしているのだが、アーッと突然大声を出すものだから、僕がびっくりする。遠藤さんも屈伸したりアキレス健を伸ばしたり準備運動に精を出している。
全員が舞台に上がる。正面からのライトがまぶしいようでみんな一斉に目を細める。
「えーとねえ、アタマっからいこうかと思うんだけどいいかな」
 佐々木さんが手をかざして、照明ブースと音響ブースの方を見ながら言う。
「とりあえず、四ページのリョウコさんが出てくるまでがいいです」
 照明さんが言う。
「オーケー。じゃあみんなスタンバって」
 各々が舞台ソデに引っ込む。
 僕はとりあえず客席のはじっこの方で坐っていることにした。
「暗転になりまーす」
 
 佐々木さんの演出は照明効果、音響効果が多用されるから、この場当たり稽古はより一層濃く、そして長時間に渡る。
 見ていて感心したのは、役者が何度同じ場面を繰り返しても決してテンションが下がらないことだ。散々稽古してきた場面をここに来てなお繰り返しするのだから、声が小さくなったり動きが流れてしまうこともあるだろうと思う。しかし僕が見ている限り、そういう役者は一人もいなかった。
 これはひとえに佐々木さんの力だ。佐々木さんは照明、音響のタイミングを計りながら、なおかつ役者にダメだしをする。それも事細かにチェックをいれるのだ。並大抵の演出家ではこうはいくまい。
「前の劇団でさ、場当たりの時手を抜く役者がいてさ、照明音響のための場当たりなんだから、役者が一生懸命やる必要はない、声でも枯れたらどうすんだ、なんてほざく馬鹿がいてさ。俺思わずぶん殴っちまった。先輩だったけど」
 以前酒の席で佐々木さんがそんな事を言っていた。
「本番前の役者殴っちゃ駄目だよなぁ」
 遠藤さんが笑って言う。
「でも佐々木の言うことは間違ってはいないんだよ。音響照明がいての役者だもんな。スタッフに対して失礼だっていう佐々木の意見はやっぱ筋が通ってたし、その時の演出家もその件では怒らなかったし」
「あったりまえだよ。手を抜く方法を覚えたら、それっきりだ」
「でもやっぱり殴ることはないよなあ」
 遠藤さんが呆れた顔をする。
「あの時は、ほら、若かったし。口よりも手が早い時期ってのが誰でもあるだろ」
「お前だけだよ」
 そう言って笑いあったことを、今ダメだしをしている佐々木さんの姿を見て思い出した。
 この人は自分の言ったことを守るためにいつも一生懸命なのだ。そして一生懸命を取ったら何も残らない人なのだ。なんて格好いいんだろう。思わず僕は笑みがこぼれた。
 役者の熱気とライトの熱で劇場内の温度が上がってきた。汗がにじむ。でも、僕よりももっと汗をかきながら必死に演じている彼らを見ていると、僕が暑いなんて言っていたら申しわけなくなる。
 そう思って外に出ることにした。
 受け付けでは、上野さんとカナちゃんキョウちゃんが談笑していた。
「どこかお出かけですか?」
 上野さんに声をかけられる。
「ちょっとコンビニ」
「いってらっしゃい」
 外は雲一つない星空だった。この分なら明日は晴れるだろう。きっといい芝居ができるに違いない。
「少しでもたくさんの人たちが観に来てくれますように」
 僕は夜空でひときわ輝いてる星にそうつぶやいた。

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