小学生の時は毎日昼休みに図書室に行ってました。 貸出冊数で表彰されるくらい本が好きでしたが、いつのまにか本を読むのが苦手になっていました。 特に小説は細切れになると世界観に没入できなくなっちゃうから時間のある時に読みたい。でもゆったりした時間が取れないなあ~とか言い訳をして、読むのを後回しにする。 そんな惰性は大学の授業でツケが回ってきました。試験に「時間作って読んどいてね~」と言われていた本を読んでいないと答えられない問題が紙面半分も出てしまった。これはまずい。 数日
美術館、芸術祭で作品やプロジェクトを見たりすればするほど、アートってなんだろうな?となるんです。 ここで言う「アート」は「センスあるね!」的な、ある種の感性を指す意味ではなく、1つの作品ないしプロジェクトとして見られているかどうか、の問題です。 東京ビエンナーレで鑑賞(かつ案内)した宮永愛子≪ひかりのことづけ≫は、とりわけ作品受容について考えるヒントがあちらこちらにありました。 サウナみたいな暑さの下で作品案内をしながら、湯島聖堂に来る人たちの人間観察をしていました。ちょ
手帳が好きです。それも紙のやつ。 ずーっと先の未来はもちろん、一週間後、明日、もしかすると数時間後の自分でさえ何をしているかぼんやりしてしまうような気持ちになることって多いなあと思っています。 自分で自分の道を確かめていかないと、情報や誘惑で溢れた社会でしっかりと両足で立っていられなくなる気がしちゃいます。 高校3年生のとき、受験に向けた課題設定をする為に使い始めたベ○ッセの付録の手帳から、私の手帳ライフは始まりました。自分が何をしようとして、実際に何をして、これから何を
いわゆる学童でアルバイトをしているのですが、ハッとさせられることが多くて。そのうちの一つのお話です。 夏休みも学童に通う子供達の親御さん方が、朝から晩まで忙しいのは想像に容易いかと思います。 子供達のお弁当は、調理の簡単な冷凍食品が詰め込まれていることが多いです。 寝る間も惜しんで懸命にお仕事をされている親御さん達にとってはもちろん、ギリギリまで寝て爆速でお弁当を用意したいと考える怠惰極まりない私にとっても(同じ文脈に並べるな)、冷凍食品は“神”です。 前だと冷凍食品はあ
とても良かった。 本展は日本庭園という、自然を人為的に再構成することで本来以上の意味を創造する拡張環境を舞台に、自然と技術とアートの結節点となる作品たちを茶の湯のプロセスになぞらえて配置します。そこは理想化された電脳空間でも素朴な自然世界でもない、様々な認知世界が響き合う場であり、同時に茶の湯が追い求めてきた幽玄の思想を継ぐものとなるはずです。互いの認知世界を交換し、交感し、交歓しあう、あらたなる生態系へようこそ。(『生態系へのジャックイン展』より) 18:00から2
昨日は、東京ビエンナーレのプログラム、ソーシャルダイブ・スタディーズに参加。ハルキストの聖地と言われる荻窪の「6次元」のオーナーを務めていらっしゃるナカムラクニオさんのレクチャーに参加しました。 アートを「つくる」「つたえる」仕事をなさってきたナカムラさんの話はどれもハッとさせられるものばかりで、「私も自分なりにやってみよう」と思うアイデアがふんだんにつめこまれた2時間のレクチャーの体感時間は5秒くらいでした。間違いなく参加した中で一番明るい雰囲気の回だった。 お話の中で
ついにnoteを始めます。 普段は大学院でパブリック・アートといって、駅前や公園で見かける銅像のように、街中にある芸術作品について研究しています。あとは交流のある学芸員さんから資料を頂いて、ミュージアム・マネージメントについてもちょっとずつ学んでいる最中です。 美術一筋というわけでもなく、中学は吹奏楽部(オーボエやってました)、高校では演劇部でした。あれもこれもかじりまくる欲張りな人間です。 これまで巡ってきた美術館の企画展について自分なりにまとめたものをEvernot