校正のお仕事
(2023年1月の過去記事の再掲です)
いらしてくださって、ありがとうございます。
先日放送されたNHKプロフェッショナル 仕事の流儀『縁の下の幸福論 校正者・大西寿男』を観まして、ああ、こういう方に一度、文章を見ていただけたらなぁとしみじみ思いました。
校正とは、番組紹介によれば「書籍や雑誌など、出版物に記された言葉を一言一句チェックし、改善策を提案する」というお仕事。
出版業界に欠かすことができぬ存在であり、芥川賞受賞作をはじめ、錚々たる作家陣や編集者の絶大な信頼を受けておられるという大西寿男さん。
そのお仕事ぶりを拝見して、背筋が伸びる思いでした。
その指摘は誤字脱字だけにとどまらず、事実確認、さらには物語の登場人物の性格を汲みとったうえで、矛盾を感じるセリフや行動に線を引いていく。その様子に、かつて通っていた小説講座の講師を思い出しておりました。
この一語、この一行は不要。
線を引かれたその部分は、読み返してみればたしかに物語に必要のない、なくても意味が通る、それっぽい雰囲気を出そうとして書き込んだ副詞や形容詞、あるいは「言わずもがな」の主人公の独白だったり。
余分なものは削れるだけ削って、真に必要な部分にこそ適切な言葉で綴ること。そう教えていただきながら、いまだ私の文章は……。
己の書いた文章を、本気で読んで調べて指摘してくださる方がいる。それは、なんとしあわせなことだろうと思いました。
雑誌の記事などは、事実を正しく伝えつつ、読者に伝わりやすい文章であることが求められます。
一方、小説は。
小説とは、おおいなるホラ話でもあるわけで。
それをどのようやスタイルで綴るのも、著者の自由ではあるのです。そのように書いたのなら、著者がそう書きたいということ。あえて指摘などせずに済ますこともできましょう。
にもかかわらず、大西さんは作品を懸命に読み込んだうえで、一歩踏み込んだ指摘をしておられました。
──この人物ならば、このセリフは言わないのではないか。
プライドの高い方なら、己の書くものに絶対の自信をお持ちの作家さまなら、校正者のこうした指摘を喜ばないのかもしれません。実際、校正というお仕事を見下すような方々もおいでだそうです。
けれど、書いた本人が気づかずに、流れで、あるいは安易に吐かせてしまったセリフだったとしたならば、これほど素晴らしい指摘はないわけで(もちろん、校正の前の、初稿をご覧になった編集者さんが、まずはお気づきになるべきことでは、とも思いますけれど)。
番組の最後に「プロフェッショナルとは」という問いに大西さんが応じた言葉を、編集担当の方がまとめたうえで「この文章を校正してください」とリクエストしておられましてね。対する大西さんの直しは、さすがでございました。
「小説を書いたら、信頼のおける読み手にどんどん読んでもらって指摘をしてもらうとよいですよ」
亡き講師は、柔和な笑顔と穏やかな声音でそう仰せでした。小説講座をやめて、小説のお仲間との交流も絶えた今となっては、それはなかなか難しく。公募にチャレンジし、選評をいただけるところまで、まずはがんばらねばと思うのでした。
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最後までお読みくださり、ありがとうございます。
日の出日の入りの時刻が、刻々と春に近づいております。ご近所では黄色の蝋梅と白梅もほころんでまいりました。とはいえ、東京はこれから冷え込むとのこと。どなたさまもあたたかくお過ごしくださいませね。
みなさまに明日も佳き日となりますように(´ー`)ノ