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古代史随想(3)

(2022年9月の記事の再掲です)

 いらしてくださって、ありがとうございます(´ー`)

 就寝前に古代関連の資料本を読むと、半分寝ぼけた状態だったり、夢の中などで、何かしらのキーワードが浮かぶことがあります。

 ある時、夢の中で聞こえたのは、『神功じんぐう皇后の瞳は青かった』というフレーズで。
 
 ちょうど古代の豪族・蘇我そが氏とソグド人(古代ペルシア系の、シルクロードを旅する隊商となった人々)との関連を調べていたころで、ソグドの人々が交易で「ラピスラズリ」という青色顔料(ツタンカーメン王のマスクや、フェルメール・ブルーとしても知られています)を各地に運んでいた、という一節を読んだ夜のことでした。
 
 神功皇后とは、第14代仲哀ちゅうあい天皇の皇后かつ第15代応神おうじん天皇の母であり、実在したとすれば4世紀後半ごろの御方です(個人的には、天智天皇・天武天皇の母である第35代皇極こうぎょく天皇を投影させた、おそらくは(神功皇后そのものとしては)架空の存在、と考えております)。

 目覚めたとき、なんで神功皇后の瞳が青になるかなぁ……と考えつつも、ソグド人が中東系なら虹彩の色は「青色」もあり得ることを調べ、かつて古代日本にたどり着いたペルシア系の人々があり、胡人こじんと呼ばれていた事実があるのなら、胡人の美姫が大王に見初められ、王家に青い瞳のひめが生まれる可能性はなくもないかなぁ……などと、小説のネタ帳にメモをしたのでした^^

 またある時は、布団のなかで寝ぼけているときに、『ヤマタノオロチはヤマタの意味を間違えている』というフレーズが浮かびました。

 そのころは、音韻の変化について調べておりまして。たとえば沖縄方言ウチナーグチでは、「エ」と「オ」の発音が「イ」と「ウ」に置き換えられているものが多いです(なにゆえシロウトでございますから用語などの誤りはご容赦くださいましね)。
 こども時代、沖縄に暮らしていたときによく歌っていた『てぃんさぐぬ花』という古謡があります。てぃんさぐとは、ホウセンカのことなのですけれど。
 
  てぃんさぐぬ花や 爪先ちみさちみてぃ
  うやぬゆしぐとぅや ちむみり

 うろ覚えですけれど、「ホウセンカの花で爪を染めるように、親のさとす言葉は心に染めなさい」という意味だったように思います。
 「~の」は「~ヌ」に、つめはチミ、おやはウヤ、きもはチム、などに変化していて、沖縄言葉だけでなく全国の方言には(標準語とされているものも「東京方言」だと申しますけれど^^;)、言葉が伝播していく流れのなかで、音が変化していったものが多いんだなぁ、などと思いながら眠りについた夜のことでした。
 
 八岐大蛇ヤマタノオロチとは、出雲神話で知られるスサノヲが退治した怪物で、その尾から天叢雲剣アメノムラクモノツルギ(のちに草薙剣クサナギノツルギとして三種の神器の一つとなります)が取り出されたと記紀に語られています。

 「出雲神話」でありながら、なぜかご当地であるはずの出雲国風土記いずものくにふどきでは語られていないこの物語。
 風土記を読んでそのことに気づいた時に、ヤマタノオロチって何だろうと調べてみたのですけれど、「洪水の化身」とか「野だたら製鉄」をイメージしたもの、という説が見受けられました。

 日本書紀では八岐、古事記では八俣と記されるこの怪物ですが、最初に考えたのは「オロチの首は何本か」ということでした。
 掌を広げると、指の股は四つですが指は五本。四股で五本なら、八つのマタなら首は九本でしょうか。
 股の語義は、「一つのもとから二つ以上に分かれているところ、またはそのような形のこと」なので、股と書いて「もも」(太もも・二本ですね)とも読むように、「首は九本」とするならば、「九つの頭」……と言えば、九頭竜川が浮かびます。

 大蛇は「竜」と言い換えることはできそうで、福井県の九頭竜川には「一身九頭」の竜が現れたという伝承があり、古代、この地の出身と言われる継体けいたい天皇には、治水の伝承もありました。
 古代はこしと呼ばれたこの地から、継体天皇が大和勢力に招かれ大王位についた折、故地の治水伝承も一緒にやってきて、語り継がれ、のちに天武天皇が古事記の神代の物語を創案するころには、大蛇退治の伝説となっていた……と想像はしてみたものの。
 九頭竜という川の名が人口に膾炙するようになるのは、記紀成立のずっと後らしく。納得できる説というものには出逢えぬままでおりました。

 そして、『ヤマタノオロチはヤマタの意味を間違えている』というフレーズが聞こえた夜中、布団のなかで「ヤマタ……ヤマタの意味……」とつぶやきつつ、「邪馬台国やまたいこくはヤマト国だしなぁ……もしかして、ヤマトのオロチ?」と思い至り、飛び起きました。

 ヤマトのオロチ……大和ヤマト大蛇オロチといえば、三輪山の大物主オオモノヌシ神の三輪山伝説が知られております。
 箸墓はしはか伝説とも言われるこの物語、夜ごと訪れる大物主神に「ひと目お姿を拝したい」と訴えたヤマトトトヒモモソヒメ。神はそれに応え、「蛇身」をヒメあらわしたところ、驚き叫ぶ媛の姿に大物主神は恥じて、三輪山に帰ってしまった……という内容です。
 そして、三輪山のあの美しい山容から、とぐろを巻いた蛇が鎮座している姿になぞらえられ、山そのものが御神体とされているという説もあり。

 また、八岐大蛇退治に使われたのは、酔わせて潰れたところを斬るための「八塩折之酒やしおりのさけ」。
 「奈良県歴史文化資源データベース いかすなら」の「大神おおみわ神社」の項によれば、古来、神酒はミワとも呼ばれていたように、三輪山と酒とは深いつながりがあったとのことで、なんだかこれも、ヤマトのオロチ説を裏付けてくれそうな気がいたします。

 さらに八岐大蛇の尾から取り出した剣、というくだりは、「剣を奪う」イコール「支配権を奪う」と考えれば、古代の三輪山周辺を勢力下に置いていた部族をスサノヲが倒した、とも読めそうです。
 スサノヲは、記紀では高天原を追われて出雲にくだったという設定ですが、実は「アマテラスから、大和の三輪勢力を倒せと命じられた」のかもしれず。
 ただ、私はスサノヲと大物主とは、古代に実在した同一人物がモデルだと考えておりまして。
 三輪の勢力を倒したスサノヲと申しましたけれど、スサノヲは結局、その剣をアマテラスに献上しているわけで、それは「剣(支配権)をアマテラスに取り上げられた」とも見えます。

 つまり、もともとスサノヲは大和を治めていた王であり、けれど、アマテラス率いる部族と争い、結果、その統治権を取り上げられたのではなかろうか、と。
 大和を追われたスサノヲは、もしかしたら敗死したかもしれず、あるいは遠く出雲の地へ逼塞を命じられたかもしれず。いずれにせよ、アマテラス側としては恨みを買った自覚があったため、その後、スサノヲの霊魂を慰撫するために、三輪山へ大物主神として彼を祀ったのではないか、などと想像するのです。

 それが記紀における崇神天皇の事績として、当時、大和に天変地異や疫病が続き、その原因は大物主神の祟りであるとして三輪山へ祀った、と記されたのではないか、と。
 つまり、八岐大蛇の物語は、出雲神話と言いつつも実は、大和を舞台とした王権争いの一幕を描いたものではなかろうか……。これは我ながら大発見、すごい小説が書けるかも! と意気込んだのですけれど……^^;

 それから間もなくして、未読の書棚から何となく手に取った本を読んでいて、「八岐大蛇はヤマトのオロチ」という内容が書かれているのを発見し、あああ……と思わず声が洩れてしまいました。
 荒川紘氏の『龍の起源』(紀伊國屋書店:1996年第1刷発行、手許にあるのは2008年の第11刷)という書籍でして、以下に少々長くなりますが引用させていただきます。

 私は、スサノオによる八俣大蛇退治からオオクニヌシがアマテラスの孫神ニニギノミコトに国を譲るまでの、いわゆる出雲神話は、じつは大和を中心に起こった権力の交代劇の記憶を、出雲に舞台を借りて表現した神話である、と理解している。とくに出雲という地が神話の舞台に選ばれたのは、出雲と大和とのあいだにはなんらかの政治的な関係が存在していたかもしれないが、その現実的な関係だけからでなく、出雲が大和からみて日の出の地である伊勢とは対蹠的な日没の方向に位置していることを重視する方位意識のためであり、また、出雲という空間的に遠い地の事件として描くことで事件の時間的な遠さを表現するという神話のレトリックのためであったとみるのである──(中略)。

 じつは、『出雲国風土記』にはスサノオは登場するのだが、八俣大蛇退治の話はどこにも触れられていない。このような重大な話が出雲の地で語りつがれたものであれば、不自然である。出雲以外の地で語られていたものとみねばならず、その場所がじつは大和であった、と私はよみとるのである。
 記・紀の神話の成立をこのように理解すると、出雲の「肥の河」の「大蛇」を大和の三輪山の「大蛇」と別のものと見ることはできなくなる。高天が原からくだったスサノオによって八俣大蛇が退治されるという話は、一種の洪水神話であるとともに、大和に侵入した天の信仰をもつ新勢力が蛇を信仰していた大和の三輪山を中心とする旧勢力を打ち倒したという歴史を伝える神話であるとも読まねばならない。ヤマタノオロチはヤマトのオロチなのである。
 大和の王権の歴史に即していえば、三輪山の蛇を信仰の対象としていた土着の三輪氏らを、崇神を頭領とする集団が支配、新しい王朝を築いたという歴史の記憶が、出雲を舞台に描かれたのが八俣大蛇の説話であると想像されるのである。

荒川紘「龍の起源」紀伊國屋書店より抜粋

 スサノヲと大物主が同一とするのは私の妄想ではありますが、ヤマトのオロチ……そのまんまやん……と個人的大発見ではなかったことにガックリしつつ、シロウトの妄想でも、歴史のプロが語る御説に沿う部分があるのなら、小説にしたときに説得力があるかも、などと思ったのでありました^^;

 それにしても、この『龍の起源』という書籍、池袋のジュンク堂さんで十年ほど前に平積みしてあるのを見かけて、単に「西洋のドラゴンと東洋の竜とでは、羽根のあるなしなど形態の差があるのは何故だろう」という疑問の答えが書かれているかも、と期待して購入し、ずっと未読となっていたのです。古代を勉強するようになった今、よもやこうして日本古代を知るヒントをもらえるとは思いもよらず。本はやっぱり、気になったときに買っておくべきだなと、しみじみしておりまする。

 ちなみに。かつて自力で攻略できず、娘にリモコンを操作してもらいながらクリアした伝説の名ゲーム『大神』(CLOVER STUDIO)にも、ヤマタノオロチが登場しておりまして。酒を飲ませて潰れたところを攻撃するのにずいぶん難儀しましたが(娘が)、このヤマタノオロチの首は八つでございました^^

 つらつらと長くなりましたが、最後までおつきあいくださった方、ありがとうございます<(_ _)> 相変わらず、古代の話は随想というより妄想になっておりますけれど、どうぞ無理にお読みくださることなく、フォロー解除もご遠慮なくお願いいたしますね。

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 古代史が好きで、資料をもとに自分なりの日本の古代の姿を思い描いております。こうして記事にした内容については、さまざまなご意見もおありかと存じます。けれど私に議論をする目的はなく、持論を正しいとも考えてはおりません。あくまで小説の素材にしたい書き手の考察の一つとしてお読みいただけましたら幸いです。
 また、コメント欄にて、記事にかぶせた政治・特定の人や団体などについてのご意見などはご遠慮くださいますようお願いいたしますね。

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 最後までお読みくださり、ありがとうございます<(_ _)>

 久々にゲーム『大神』の公式ガイドブックを取り出して、攻略当時を懐かしく思い返しております。ラストは大泣きでございましたよ……そして『大神』は音楽が本当に素晴らしくて。サントラをすぐさま購入し、いまだに聴き倒しておりまする(ゲームご存知ない方にはなんのこっちゃで申し訳ございません^^;)。

 当地ではようやく朝晩は、エアコンを使わずに過ごせるようになりました。暑さがやわらげば、行楽シーズンも本番ですね。疫禍が一日もはやく落ち着き、楽しい秋となりますように。

 明日もみなさまに佳き日となりますように(´ー`)ノ


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