《ゼロサムゲームの社会を直視する》『オペレーション・フィナーレ』の感想
2018年公開、『ライラの冒険』や『ローグワン(スターウォーズ)』の脚本を手掛けたことでも知られる、クリス・ワイツ監督の作品、『オペレーション・フィナーレ』を観た感想をつらつらと述べていきます。
あらすじはほどほどに、感想のみ述べていきます。ネタバレ無しで、「鑑賞後はこんな感じになるのね~~」という視点から読んでいただければと。
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あらすじ
ナチス政権下で行われた、非人道的行為“ホロコースト”。指導者の一人とされる「アドルフ・アイヒマン」という男を逮捕するために、イスラエル諜報員たちがドイツへと潜入するという物語。
ナチス政権によって奪われた家族を想いながら、緊迫する敵地で任務を進めていく。しかし、彼らがそこで目の当たりにしたのは、残虐非道な大量殺人者ではなく、妻と息子を愛する一人の父の姿だった。
真向から対立する二つの思想からは、一つの共通項が垣間見える。それは「大いなる正義に、行為判断をゆだねる」という姿勢。究極の思考の末、正義と悪の境界が曖昧になっていく・・・
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感想1/2・・・・ゼロサムゲームの社会
ゲーム理論には「ゼロサムゲーム」という考え方があるそうです。厳密な定義は説明しませんが、要するに「誰かにとっての得は、誰かにとっての損」という考え方だそうです。どんなにいいことをしたとしても、だれかにとって迷惑なことだった、ということは往々にして起こりえますよね。
「人類は皆、生まれながら罪を追っている」という信仰と近いものを感じます。私自身、最近までは「いや、生まれてきただけありがたいと思えや(笑)」と思っていました。しかし、地球温暖化の問題について真剣に考えていると、「生まれた時点で環境を破壊せざるを得ない存在なのかもしれない。。。」とか思うんですよね。
じゃあ地球温暖化を止めるためには、人類みんなで仲良く心中するのが正解なのか?そんなわけないですよね。私はこれからも肉を食いまくるし、車も乗り回すし、大型機械で育てた作物を消費しつづけます。
そんなことを考えていると、「全てにとっていいこと」なんて無いんじゃないかなと思ってしまいます。残念ながら、これは一つの真理なのかもしれません。
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感想2/2・・・・・自分はどうありたいか?
「大きく社会を見すぎて、何かに対して責任を感じすぎることはない。社会はゼロサムゲームなのだから、全てに責任を感じていたら生きていけない。そんな広い話をする前に、まずは手の届く隣人を幸せにできることを考えた方がいい。」
私の尊敬する方から頂いた助言です。まさにその通りだなと。
しかし、私は直視し続けていたい。自己の矛盾に悶え苦しみ、答えがあるはずもない問いに悩み続け、ストレスで髪は抜け落ち、自律神経が乱れ、アセトアミノフェンに依存しながら生きていきたい。変な話だが、そういう人生を歩んでいきたいという想いに、静かに納得している自分がいる。
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以上!
結論、「自分はめんどくさいタイプの人間でした。」
それがこの映画の感想。
ちなみにサムネイルは、鹿肉のジビエバーガー。味そのものは牛肉っぽいが、触感はエビのようにプリプリしてて、めちゃくちゃおいしかった。今回のテーマにぴったりの画像かな。
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