君が思い出になる前に
新宿コントレックスというショーケース・イベントが、あった。
「あった」というか今週末やるじゃねえか、なんだけど、何年も動いていない企画だったのだから実際、感覚的には過去形になる。
アガリスクがいわゆる「市川期」―演劇経験がないに等しい地元民だけで活動していた最初期―から、今後も継続的に活動するか、だとしたら東京の「小劇場シーン」にどう首を突っ込むのか、みたいな「第二期」に移り変わる頃、そしてモラトリアムが終わる頃。メンバー、といっても「劇団員」みたいなハッキリとした区切りがあったわけじゃない、むしろ、それを明確に区別したことによって、彼らは、離れていった。または、切り離した。
自分たちだけで、まともに公演を打てるような人数は、残らなかった。それでも、活動の場は増やしたかった。せっかく、そういう選択をしたんだから。そこでコントを作って、他所のショーケース・イベントに参加しよう、という話になった。ちょうど当時、秋葉原の小さなライブハウスで短編の演劇を持ち寄るイベントがやってて、そこに参加することにした。ほぼほぼ知り合いしか観てない、みたいな感じだったのかも知れないけど、おれたちにとっては貴重な「対バン」の場だった。原爆テーマのひとり芝居のあとにコントをやるような、得難い経験だった。
しかし、俺たちが参加し始めてすぐに、そのイベントも開催されなくなってしまう。そこで「じゃあ自分たちでやろう」という発想がどこから出たのか今となっては思い出せないが、おそらくお世話になり始めたシアターミラクルの、そして『ナイゲン』の再演にあたっても協力いただいた、当時の支配人のアドバイスと助力が大きかったように思う。あと「どのくらい大変かわからないからやってみる」というよく言えばDIY精神、と。
そうして、「新宿コントレックス」という企画を立ち上げる。マンパワーも予算も知名度も皆無のなか、それでも参加してくれる方々―劇団・個人・お笑い芸人・落語家となかなかに多様―のおかげでそれなりに好評を博す。数人の劇団員で隔月で開催する、という今思えば博打過ぎるハイペースだったことも手伝ったのか、とにかく劇団活動ではじめて「ブランド」みたいなものを作れたことが、とても嬉しかった。大学母体じゃないのに出たシアターグリーン学生演劇祭や、敗北と勝利のコメフェスとか、それと比べるとアレかも知れないけど、そういう「場」を立ち上げられたことが、少し誇らしかった。
それから何年だ、劇団員も増え、動員も評判もそこそこ大きくなり、背伸びして借りたハズのシアターミラクルは手狭になり、喉から手が出るほど欲しかった「対バン」にも、お声がかかるようになった。隔月だったコントレックスは不定期開催になり、コロナもあってここ数年はまったく開催できなかったのか、しなかったのか。初期にコントレックスに出てくれていた方々も、いろいろ環境の変化があったり、そもそもどうしているか知らなかったり。第一、おれたちも変わった。いなくなったり、あらわれたり、した。
何度か「ミラクルはホームだ」と書いた。間違いなく一時期の本拠地でありった。だが、成長しそこを離れるタイミングがあり、別に顔は出さないけどそこはいつまでも「実家(ホーム)」で。物心ついたくらいから思春期を経た、アガリスクエンターテイメントという劇団のそういう時期は、シアター・ミラクルで迎えている。だから、「ホーム」だ。
『新宿コントレックスFINAL』 5.27-28 新宿シアター・ミラクル
「新宿シアター・ミラクルという劇場が、あった」になる前に。