大学で語学を専攻する意義
帰国してから久しぶりにメキシコの同僚とメールした。スペイン語を使わなくなり早3ヶ月。思ったより言葉がぼんぼん出てきて困らなくてちょっと安心した。
メキシコにいた頃、留学していた大学の後輩とご飯を食べていた時。外国語学部でスペイン語を勉強する意味ってあるのかと思ってしまうという話をされた。
曰く、周りを見れば帰国子女もいる。外国語学部でなくても留学して喋れる人もいる。わざわざ大学で、4年間勉強する意味ってあるのかなと思う時があると。
自身の経験からすると、ある。100%ある。
無駄なものなんか無いんだよというコンセプチュアルな話でなく、実利的にある。
自分の話。大学受験の時、さしたる動機もなく、なんとなく英語が得意、法律やら経済やらを学ぶ意味が見出せない、そんな理由で外国語学部を目指した。
(本当のところ当時の外国語学部は男女比が1:9ぐらいで薔薇色の大学生活を夢見てたということも否定できない)
スペイン語にしたのはメジャーな言語だから、あえていうなら好きだったプロレスラーがエディ・ゲレロというメキシコにルーツがある人で、スペイン語の決めゼリフが最高にかっこよかったから。
不純なのか純なのかわからないけど、少し背伸びをした志望校になんとか滑り込み、待望の大学生。
エディ・ゲレロの決めゼリフの意味を理解した事により、1年生の5月に知識欲を満たされた学生の私は見事に落ちぶれた。結果、留年。卒業するのに5年かかった。自他共に認める、ぶっちぎりの劣等生。
そんな私が卒業後に10年近くブランクがあったにも関わらずメキシコでスペイン語で仕事をこなせた。
外国語学部の勉強は、ただ授業中に当てられない事を祈り、テストは友達のノートを借りるだけだったビリの学生にも確かに活きていた。
そんな話を後輩にした。もしかしたらそんな低いレベルの話じゃないと思ってたかもしれない。
授業が多くて予習・復習もたんまりある環境で優秀な成績を残す、あるいは本当に語学を極めたくて周りを説得して留学している人達の悩むところは本当のところわからなった。(こちとら単位取るだけでも精一杯、どころか出来なかった)
あなた達は10数年前の僕よりすごく優秀だから大丈夫だよ、と伝えて閉会・解散したと記憶している。後輩達は何が大丈夫なんだよ、と思ったかもしれないけど、ご飯代とタクシー代まで出したので許してほしい。
大学生の時。法学部だった部活の同期(以下、意地悪くん)に「何で外国語なんてわざわざ大学で何時間も勉強してんの?普通に語学学校通ったら話せるだろう。」と言われた。
僕は1年生からレギュラーで、前期にフル単をしていて、実家がお金持ちで、顔がかっこよくて、女にモテていた意地悪くんが嫌いだった。
反論はいくらでもあった。
「外国語学部の教授は、語学だけじゃなくて言語学、歴史、はたまた美術のプロフェッショナル。僕らは外国語をツールとしてそういう自分の専攻を深めるんだ」とか
「スペイン語は世界で第3位の話者がいるからね。しかもほとんどは途上国。ポテンシャルがすごいんだ、君もやってみなよ。将来役に立つよ」とか。言えなかった。そんなに勉強してなかったから。やっていたことにプライドを持てなかったから。
後輩達。もし、あなたのところに意地悪くんが来て、同じ質問をされたら胸を張って反論して欲しい。というか相手にしなくていい。
一生懸命勉強している人。当たり前の様に胸を張ってほしい。
あまり身が入らない人。大丈夫、気が付かないだけでちゃんと身についてる。
参考までに。意地悪くんは法律家にはならなかった。彼のスタンダードで言えば、法律家にならないなら法学部出ても意味ないだろ、というところ。
実際には縁遠くなって卒業以来会っていないから又聞きだけど、誰もが知っている大会社で、苦労しながら日々奮闘しているらしい。
彼ならきっと成功しているだろう。部活、すごく頑張ってたから。
努力した人間は強い、ということを大して努力した事がない人間は知っている。