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メタファー日記:体験版時点の雑感・ニンゲンデザインの謎を考える

発売までの日にちも迫ってきたアトラス完全新規IPこと「メタファー:リファンタジオ」。体験版やってみたらちょぉっと面白すぎたので、流石に発売日から遊ぶ気でいます。まあ……現在無職無収入なんですけど……肌感覚として「これにリアルタイムで乗っておきたい」という気持ちが天元突破しちゃったから……。

いわゆるペルソナチーム、現在の「ペルソナ」というシリーズのイメージを作り上げた面子のゲームを遊ぶのはこれが初めてなんですが、個人的に真っ先に弄っておくオプションは「カメラの手ぶれ」です。なんか視界が落ち着かないな、と思った人は切っておきましょう。私はこれだけで快適さがダンチになりました。でもこれもなんか意味はあるんだろうな……。

所でこう……ロゴが……あまりにも「アタシ再生産」なんだよな……もあるし……。

(一点透視ロゴなのであるあるといえばあるある)
タイトルの「リファンタジオ」も、「幻想をもう一度」ぐらいの意味だと思うのですが、「今”幻想”を語り直す」ことについて意味があるということなのかなー、となんとなく思っています。

それはさておき、冒頭からも語られ、察せられているように「現実と幻想は影響を与え合う」、というのが本作の構造のようです。
ここでちょっと気になった、というかぼんやり考えていたのが、

「なんでモンスターデザインの元がヒエロニムス・ボスなんだろう」という点です。

ここでのモンスター、つまり「怪物」は、作中で「ニンゲン」と呼ばれています。他のどんな種類の動物とも似ていない怪物であり、知性がないような暴れ方をしつつも、高度な魔法を使う存在。そういう存在にふさわしい姿を、開発チームは自分達の引き出しではなく「ルネサンス期に存在していた画家」の絵から持ってきたのです。

例えば上記ページのニンゲン「ホモ・アヴァデス」の原型は、ボスの「快楽の園」右側の絵にはっきりと描かれています。

ペルソナシリーズにて「人の心の形」というものを描き続けてきたスタジオゼロの面々なら、「人の心を反映したモンスター」を描くのはお手の物なのでは?という疑問もあります。まあ、意味があっての事なのでしょう。

ここでひとつ、主人公が持つ本に描かれている「理想郷」の内容について振り返ってみましょう。

その世界には、種族は1つだけ。誰もが互いを認め合い、生まれによる差別は存在しない。
彼らに魔法は必要ない。学びと手業だけで巨大都市を築く。天を突くガラスの塔。闇のない安全な夜。
行き交う車。そして、満たされた彼らの法には、民の命は平等だと書かれている。

メタファー:リファンタジオ

この文章において、私たちがよく知っているにも関わらず、明言されていない「違い」が存在します。
それは、「言語の違い」です。

なぜ「言語の違いがない」と書かれていないのか?
それは、書いている側も、それを読む側にも、元から言語の違いが存在しないからです。本編にて「本を書いた」と早々に明言される人物こと「モア」の中に、「言語が違う人」という認識が存在していないのです。
例えば作中のマリアのように、読み書きに習熟の差はあっても、少なくとも体験版の範囲では「話す言葉が違う」人物には出会えませんでした。
あの本に描かれている「理想郷」は、モアの「種族の違いさえなかったらな」「魔法なんて特別な力がなかったらな」という理想を前提に書かれたものなのです。

ここで、「現実」に立ち返ってみます。
「ホモ・サピエンス」において、見た目の違いはありません。少なくとも、先天的に角が生えたり、腰に翼が生えることが当たり前ではありません。
それなのに、どうしてこんなに通じ合うことが難しいのか?
それは、「言語の壁」があるからです。
これこそが誤解、無理解、不安、恐怖、差別、そして暴力を生むのです。

では、言語の壁はなぜできたのか?
より現実的に考えるなら、大元の言語を話す民族の移動経路などに理由を求めることはできますが、しかしこのゲームはメタファー、「隠喩」です。
「ニンゲン」のデザイン原型になったヒエロニムス・ボスはルネサンス期の画家であり、聖書に基づいた寓話を描くことで知られています。

聖書の寓話、そして言語の壁とくれば、察しのついた方もいるでしょう。
旧約聖書の「創世記」に、「バベルの塔」という話があります。
簡潔に書くと、

言葉がひとつだった人々が大きな街と、天にも届く高い塔を建てようとする。それを見た神が人々の言葉を乱してしまったので、人は塔をそれ以上建てられず、また各地に散らばってしまったのだった。

これは人の驕りを戒めたり、違う言葉という異なる価値観から自分を見つめ直すための寓話である、と言われています。

さて、もう一度モアの「理想郷」を引用してみましょう。

その世界には、種族は1つだけ。誰もが互いを認め合い、生まれによる差別は存在しない。彼らに魔法は必要ない。学びと手業だけで巨大都市を築く。天を突くガラスの塔。闇のない安全な夜。行き交う車。そして、満たされた彼らの法には、民の命は平等だと書かれている。

メタファー:リファンタジオ

これを読む限り、モアの理想郷はメタファー世界とは正反対に思えます。
理想郷が「現実」と正反対なのであれば、

「メタファー世界(幻想)」は
「言葉と種族が同じだった人々が、神によって言葉がバラバラにされなかった世界」という事になります。
そしてメタファー世界の姿を見る限り、それは
「言葉と種族が同じだった人々が、神によって種族がバラバラにされてしまった世界」ということです。

そう考えると、主人公の種族である「エルダ族」は、もしかすると「神に種族をバラバラにされる前から存在していた種族」なのかもしれません。言葉が同じなら、学びと手業だけで巨大都市を築き、塔を天に届かせることも楽なものでしょう。そしてその驕りが、この「幻想」を作り出す切っ掛けとなったのかもしれません。

ここでまた、ヒエロニムス・ボスに立ち返ります。
ボスの絵は現存しているものが少ないのですが、彼の影響を強く受けた画家の一人にピーテル・ブリューゲルという人が存在します。

彼の代表作は、「バベルの塔」です。
そしてボスの影響――ボスの生み出した「幻想」の影響を強く受けた彼の絵にも、不可思議な生き物たちが多く登場します。

また、彼は「農民画家」と呼ばれるほど、農民の生活に寄り添った絵が多く残されています。これについては「画題として農民を見下していた」という見方もあれば、「これほどに生き生きとした様子は、農民の側に立って見つめていなければ描けない」という見方もあるようです。

体験版も大詰めという所で、「最も人に支持されたものが王となる」という「選挙魔法」が発動し、心を読むので不正NG、真剣に「人に求められる」必要が発生するのですが、これもブリューゲルが「農民画家」と呼ばれていたことと繋がるのかもしれません。何にせよ、人に求められるには「人に寄り添う」ということが必要不可欠であり、「見下す」「寄り添う」というのは、「人の上に立つもの」、すなわち「王の在り方」に直結します。これはゲーム中のクエスト内容や、雑誌で明らかにされている演説やマニフェストに反映されているのでしょう。

さて、こう来るとキャラクターの絵、そしてUIが「油絵」「筆のタッチ」風になっているのも大いに頷けます。「幻想」のもとになったそもそもの「現実」が西洋圏の寓話であり絵画であるからです。
また、アニメパートの線が入った影塗りも、個人的には水彩風というか、影部分に「顔料が濡れた画面のキワに溜まって出来た線」の表現だと思われます。水彩やってると「ああ~~~~」と思う。

ここで問題というか、「じゃあ東洋圏の宗教や話は?」については、製品版を待つことにしましょう。既にハイザメというキャラクターが明らかに東洋の武士モチーフですしそもそも戦闘曲で本職の住職がお経唱えてるんだぞ何もないわけがないやろ!!!

ちなみにここに書いたことは全てのことが製品版で明らかになる前の妄想かつくだまきなので、製品版で大ハズレになる可能性はあります。
ハズレてもだから何なのだって話なのでね……面白けりゃいいので。むしろこんなくだまきボコボコにしてくれたっていいので、アトラスになら……。

あ、そういえばこのゲームは「アトラス35周年記念作品」でもあるそうなのですが、DLCの特典で配布されるアイテムにこういうものを見つけたんですよね。

激堅黒パン×2(敵に万能300ダメージ)

ア゛(何周もしたゲームネタをぶっ込まれて脳が痺れる)(ガチの「アトラスの35年」をねじ込んでる事を理解して受け身も取れず後ろに倒れるの図)


(Tシャツは大阪でバベルの塔展をやっていた時のものです)

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寺西操
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