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子どものころなんてたいして何も考えていない

小学生の頃、私は水色が好きだった。
自転車も水色、カバンも水色、服も水色。

当時は水色が好きだということに対して何も思っていなかった。

20代前半になってふとピンクが好きだなと思った時に、
「もしかして本当はずっとピンクが好きだったのに、
 その気持ちにフタをして水色を選んでたのかな。」

なんて頭によぎった。

水色=男の子 ピンク=女の子

なんとなくこのイメージが同級生間で共有されていて、
小学生の私はみんなよりも少しだけ背が高くて、ショートヘアだったため
男の子のような役割を求められているような気がしていた。
仲の良い子も活発な子が多く、色でいうと黄色やオレンジが好き!
って子が多かったのでピンクが好き(女の子女の子してる)というのが
発言しづらかったのでは思う。

それから大人になり、何か雑貨を買う時はピンクを選んだ。
財布、iPhoneケース、キーケース、ポーチ、文房具 etc…
身の回りが華やかになって満足した。

そして30代になって、また水色が好きになっている。

水色好きに戻ってきて思ったのは、20代の頃に感じた
「気持ちにフタをして水色が選んだ。」ことについて、
上記に書いたことは単に考えすぎたったということ。
人はいろいろなものに意味をもたせたがるみたいだから
20代のピンクが好きになった私は、小学生の水色が好きだった私に
意味をもたせようとしたんですね。

まぁ、小学生の頃はおそらく純粋に水色が好きだったと思う。
特段意味を持たせるような特別な話ではないということだ。

でも「私は子どものころから一貫性がない。」ということに気付いた。
三日坊主なところはもちろん、好きな色、形、音楽、デザイン
ありとあらゆる好みがその時その時で変わってしまう。

「熱しやすく冷めやすい。だけどまた戻ってくることがある」
これについては子どものころから一貫性があると言ってもいい。

書くことがすきなので日記を始めようとして途中で辞めるを
かれこれ30年はやった。最近は続けられるようになってきた。
ゲームも熱中してやってたかと思うとしばらくやらないんだけど、
ふとした時に思い出してまた熱中してやりこんでたり。

そんなこんなで三日坊主を30年くらい繰り返している。
もはやプロ三日坊主なのだ。

子どもの頃とそんなに変わらずすごせているようでなんだか安心した。
これからも子どもの頃のキラキラした気持ちをもって生きていきたい。
(ものは言いようである。)


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