ちゃんとしたい、ってなんだろ
これはちゃんとしなきゃなあ…ってつい考えがちな私に向けて描いたお話。
“ちゃんとする”ってなんだろ?
わたしはそのコミュニティの中で「やるべきこと」とされていることをしっかりこなしているとき、人はちゃんとしていると見なされると思ってる。
たとえば、学校というコミュニティなら、宿題やってきてる人、毎日勉強している人。社会人というコミュニティなら、毎日定時に出社できてる人、自炊できてる人とかはちゃんとしてるっていうイメージ。
そして、わたしは周りの人がやってるのに自分ができてないとき、ちゃんとしなきゃなあって思いがち。
ちゃんとしなきゃなあって漠然と思っている時ってとても辛いんだよね。自分に対して強く負の感情を抱いてる。他に比べてなんて自分はだめなやつなんだろう、なんで私はこんなこともできないんだろうって。
でもさ、本当にわたしって“ちゃんと”しなきゃいけないのかな?
やるべきこととされていることって、本当に私もやらなきゃいけないことなのかな?
最初に言った通り、そのコミュニティでやるべきこととされていること、すなわちそのコミュニティでの常識を守る事で人はちゃんとしていると見なされてる。
裏を返すと、コミュニティを変えればちゃんとするの基準ってがらっと変化するんだよね。
それなら、自分に合うコミュニティを探す、無いならいっそ作っちゃえばいいんじゃないかな。早起き苦手なら昼から働けるところにしちゃうとか。なにも、合わないところにずっといる必要はないよね。
誰のための“ちゃんと”?
そもそもちゃんとするって誰のためなんだろ?
ちゃんとしなきゃって思うたびにすり減ってキツくなるなら自分のためではないよね。きっと、ちゃんとしなきゃの先にはコミュニティの目がある。
でも、自分の人生なのに自分以外のために精神すり減らしながら生活するのって大変。他の人の目や声を気にして無理に自分を縛り続けると、自分の本心に味方してくれる人がいなくなっちゃう。わたしの本当の声が聞こえるのはわたしだけなのに。
案外、自分に色々言ってくる人ってそこまで自分のことをたくさん考えて言ってくれてなかったりする。
そりゃそうだよね、みんな一人一人生きてきた環境も感じてきたことも違うし、その人のバイアスがどうしてもあるから、100%自分に合う意見なんてものはない。
だから、1番信用すべきは自分の声なんだと思うの。周りがいくら「こうしたほうがいい」って「ちゃんとしたルート」を示してきても、自分がそれに合わないなら無理して合わせなくていい。
自分が心の底でこうしたい、って思っている事をぜんぶ尊重できる人生ってサイコー!じゃない?
どうやって自分を信用する?
とはいえ、まだまだ未熟な人間だし、どうやって自分を信用するんだって話になるよね。じゃあそんなとき自分はなにをするべきか。わたしは、「頼れる自分を育てる」のがいいんじゃないかな〜って思った。
まずは自分の苦手なことを把握して、それを避けて生きられないのか本気で考えてみた。今はなんでもググれば出てくるから、とにかく情報をたくさん集める。好きな意見を発信してる人に相談したこともあるよ。
大学にいづらいから大学に行かないでも生きれる方法はないのかな
たくさんの企業で第1志望ですって嘘ついてする就活辛いから、そういう就活しなくても就職できる方法ないかな
時間をただ切り売りするだけじゃない、人生のいいスパイスになるバイトはないのかな
東京で生きづらいから田舎に行くのはどうかな
日本が生きづらいから海外に行くのはどうかな
みたいな。
ググり力が付いてくると、自分でなんとかする力が自ずと付いてくる。そうするとだんだん、自分が頼れるやつになってくる気がする。
相談するなっていうわけではないのね。自分の意思で情報を集めて、その情報集めの一環で相談するのはアリだと思う。
ただ、ぜんぶその人に投げて「たすけてー!」ってするのはイケてない。その人はわたしのお世話がかりじゃないもんね。
困った時に解決する術(=ググる、人に聞く)を身につけた自分は、ほんのちょっとだけど頼れるやつになってきた気がするよ。
ちゃんとしなきゃ〜とかどうしよ〜って思考停止しないで、自分が生きやすい生き方を探そう。これからもがんばれ、わたし。
んじゃ、またね!
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