nue (ぬー)
日常のお!とか、きゅん!とかやっちまった!とかをあつめるところ
主に弱気なめんだこと達観してるさかなのマンガです
最近「好きなことして生きる」って言って活動してる人をよく見かけるんだけど、それをみて「わたしも好きなことを探して、それを生業にしたい!」って思って苦しんでる人がいる気がする。 好きなことを生業にするっていう概念を知ること自体はいいことなんだけど、そう思うことでせっかく幸せなのに不幸になっちゃう人もいるんじゃないかなあ。 「好きなことして生きる」って掲げてる人の多くは、好きなことして生きるために好きなことして生きてるんじゃないと思う。すごくややこしいけど。 たまたま好
去年はすっかり忘れていたけれど、友人からリクエストをいただいたので今年はまた思考メモを書こうと思う。 それでは27年目に突入したわたしが最近思うことたちです。どうぞ〜 こうありたいと思っていること 日常のあらゆる瞬間を愛おしく思える余裕をもっていたい そのときそのときを思いきり楽しめる人でありたい 自分のもつ経験や知識を積極的に共有していきたい 不誠実に不誠実で返さない 「わたし」について 自分は育てるもの。「わたしちゃん」のペースで少しずつ練習していけばいつ
毎年そうだから、なんとなくそうかなとは予想してたけど、やっぱり思ってた27歳と実際になってみた27歳は違う。 端的にいうと想像よりも全っ然大人ではない。いまだにお風呂は心底面倒だし、うっかりお金使いすぎてやば〜いってなっている。全然3食しっかり食べられていないし、やっぱり確定申告は直前に半泣きでなんとか終わらせている。(去年分はまだ手をつけていない) そりゃそうなんだけど、「放っておけば勝手にmatureな大人になっていく」なんて都合の良いことはなく、やるぞ!てしてその時
このまえ25歳になった。びっくり、あれ、こんなにものびのびガキ全開モードで25年目突入しちまったのか〜という気分。 過去の自分からのグラデーションで今の自分になってるんだから、そりゃいきなり成熟した素敵な大人に……とは、いかないか〜 「思ったより大人じゃなかった」って話、いろんな人が言ってる。わたしよりも早く生まれた大好きな友人たちからもよく聞くし、きっと何歳になっても思うんだろうな。年齢で人を想像するの、あんま意味ないってこったね。 だけどなんとなく、25って節目っぽ
あたまわるいって、本当にあるんだろうか。 わたしは今2回目の大学生をやっていて心理学を勉強しているのだけど、ものによるけど心理学って人間あるあるみたいなとこあるから、統計の知識が必要なんだよね。 で、統計が必要って知ったとき、最初ギョッとした。だって中学くらいから数学苦手だったし、わたし頭悪いからできないよなって。 なんなら数字を使う科学的なこと全般に苦手意識を持っている気がする。だからメディアの数字とか、本当は信用できるかどうかわからないのに確かめ方がわからないから、
これはちゃんとしなきゃなあ…ってつい考えがちな私に向けて描いたお話。 “ちゃんとする”ってなんだろ? わたしはそのコミュニティの中で「やるべきこと」とされていることをしっかりこなしているとき、人はちゃんとしていると見なされると思ってる。 たとえば、学校というコミュニティなら、宿題やってきてる人、毎日勉強している人。社会人というコミュニティなら、毎日定時に出社できてる人、自炊できてる人とかはちゃんとしてるっていうイメージ。 そして、わたしは周りの人がやってるのに自分が
「わたしってばなんでこんなにダメなんだろ…」って今までで何千回も思ったし言ってきた。なんでわたしってこんなにダメなのかなあ。 例えば早起きできないとか継続できないとか料理も家事もスケジュール管理も、ぜ〜〜〜んぶポンコツ。もう目も当てられない。自分の行動を振り返るとダメポイントがわんさか出てくる。 でも、全てがダメなんだろうか?って思うと、ちょっと冷静になる。 「まあ、ときどきイラストは描けてるし、言いたいこともなんとかまとめられてるし、悪いとこばっかじゃないかなあ」
めんだこくんは身体的な悩みをもっていたけど、恋愛とか受験とか仕事とか思想とか性別とか親とか…他のことにも置き換えられる。 「もしかして自分っておかしいんじゃないかな?」「他の人と比べて、変なんじゃないかな?」って思った瞬間、そればっかりに気が向いちゃってぐるぐるしちゃう。 大多数と比べた時、自分のなにかが違うって本当に怖い。 そんなとき、視点をぐいっと上げてみたら落ち着くことがあったので、マンガにしてみた。(そのときのコンディションにもよるんだけど) ちっちゃい