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ありがとうの日(母と私のこと:2つめ)
母と以前、こんな会話をしました。
「もしもママが死んでも、絶対出てこないでね。私は怖がりだから」
「わかった。出ません」
しつこい私は続けます。
「ママがこのぐらいなら大丈夫だろう、と思っても出てこないでね。私は怖いんだからね」
「はいはい、出ませんからね。安心して」
その後、母は亡くなりました。
私には気がかりが付きまといました。母と過ごしたいくつものシーンを思い出し、あの時こうすればよかった、こう言ってあげられたらよかった、と、クヨクヨ思い悩みました。
「そんなこと気にしとるわけない。もう天国でおばあちゃんたちと大笑いして過ごしてるって!」
と言って、私を慰めいた兄も、私のしつこさにいいかげんあきれ果てたのか、
「そうじゃそうじゃ、ガイコツになってカクカクしながら文句言いに来るわ」
と言いました。私は半べそをかきながら、
「大丈夫。ママと約束したから、絶対に出てこないもん!」
と反発していました。
そんなある日、夢を見ました。
母がそばにいるのです。ニコニコ笑っているのです。私は驚いて、
「もう、死んだかと思ってた。本当に? 本当に生きてるの? 本当に?」
と、何度も尋ねました。母はニコニコしています。
「私の勘違いだったんだ。もう、ママが死んだかと思って、細かいことまで、ずーっと気にしてたんだから。なあんだ!」
私は声を張り上げて言いました。母の両手を持ち、ぶんぶんと揺らしました。
「ああ、お腹すいた。ご飯にしよ!」
と、母はいつもの調子であっけらかんと言います。
「あー私、昨日からお腹こわしてるんだ」
と、私はお腹の調子が悪かったことを思い出し、言いました。
そこで、目が覚めました。目を開けると、外の薄明かりにぼんやり照らされたカーテンが目に入りました。
「あれー」
夢を見たのだと気づきました。やっぱり母は死んだんだ、と思いました。でも、母の柔らかくて温かい手の感触はまだ残っているし、はっきり母に言いたいことを伝えたという、すっきりとした気分も残っています。しばらくして、残念な気持ちが、すーっと入ってきました。
「そりゃよかった」
私が勢い込んで話した夢の話に、兄はあっさりとした感じで言いました。
よかった以上のことです。私の想像はふくらみます。私をこわがらせないよう、最大限の工夫でこうして出てきてくれたんじゃないかと思います。まだ亡くなったばかりで、きっと天国で過ごすための事務処理のようなものもあって、自由が利かない時期かもしれません。何らかの無理をして、精いっぱい頑張ってくれたような気がしてなりません。
「忘れない!この気持ち」
と思って、『ありがとうの日』と手帳に書き込みました。
今でも、やっぱりクヨクヨすることがあります。そんな時は、体を張って出てくれた母のやさしさに応えようと、
「私もがんばるよ!」
と、ぐっと踏ん張ることにしています。