「本は港」で考えたこと
本を通じて届けたい価値は何か
おもしろい? いや違う。ためになる? これも違う。最新情報を伝える? うーん、全然違う……。
以前、「サウダージ・ブックスの編集人であるアサノさんが本を通じて届けたい価値は何ですか?」と人に問われて、あれこれのキーワードを思い浮かべながらもはっきり答えられなかった。サウダージ・ブックスという出版社の旗揚げ以来「小さな声を伝える」をモットーにしてきたが、伝えるその先にある価値とは何だろう。答えられなかったことが悔しくて、何日も悩み抜いてたどりついたのが、
「静かな時間」
ということばだった。これまでの人生で出会った、忘れがたい何人もの読書家たちの面影に問いかけつつ、たどり着いた答えだ。
ぼくが本を通じて届けたいと考えているのは、基本的に「時間」だ。そもそも本を構成する本質的な部分(パーツ)には1、2、3……とクロノジカルに展開する「ページ」があり、書物自体が時間を目に見えるかたちにしたオブジェだと言われる。
そんな本のページをひらく人が、読書をつうじて何かを感じ、思い、考える「時間」を体験することで、自身の人生を深いものにしてほしい。そこでの時間は、社会の喧騒から遠く離れた静かなものであってほしい。
それが、サウダージ・ブックスの編集人として本づくりの仕事をするぼくの偽りのない願いなのだ。おもしろいでも、ためになるでも、情報でもコンテンツでもない。「静かな時間」という無形の価値を届けたいのだ。
「本は港」に参加して
2024年5月24日、神奈川県の横浜で開催されたブックイベント「本は港」に、サウダージ・ブックスとして出店した。昨年からはじまって今回が3回目、県内の書店や出版社が集まる即売会のイベントで、鎌倉を拠点にするぼくらも前回から参加している。
代表の妻とふたりで、それぞれ他の仕事をする傍らスモールプレス=小出版社を営んでいるのだが、家内制手工業的な活動ゆえに刊行点数は多くない。2019年以降に刊行したのは8点なので、現在は1年に1〜2冊のペースで本を出している。だから、こうしたイベントにも手荷物ひとつで気軽に参加できる程度のささやかな事業だ。
当日は快晴。横浜の馬車道駅で下車して、気持ちのよい港町の朝の空気を感じながらスーツケースを引っ張ってゆき、会場となる LOCAL BOOK STORE kita. のスペースに入る。「港の人」や「本屋・生活綴方」、顔なじみの出版社の人たちや、神奈川新聞社の太田有紀さんら関係者に挨拶した後、割り当てられたテーブルに新刊と既刊を並べ、お客さんを待つ。
真っ先にやってきたのは、奄美の沖永良部島出身の方だった。旅と読書をテーマにした随筆を集めた2冊の拙著『読むことの風』、『小さな声の島』を読んでくださったその人は、これらの本に奄美・沖永良部島への旅のことが書かれていることをことのほか喜んでくれた。
また、文筆家・大阿久佳乃さんの海外文学エッセイ集『じたばたするもの』はピンク色の表紙やイラスト、紙のざらっとした質感が目を引くようで、小さなお子さんを連れる方、児童文学ファンの方、アメリカ文学が気になる方、普段は文学を読まないという若者など、ほんとうに多くの人が手に取ってくれた。
編集者として、即売会でのお客さん一人ひとりとの会話から学ぶことは多い。そのなかで耳にした印象的なことばは、確実に次の本づくりのための糧になる。今回は、『「知らない」からはじまる—10代の娘に聞く韓国文学のこと』というサウダージ・ブックスから2022年に刊行した本の読者から得た大切な気づき——「啓示」といってもいいぐらいの——を記しておきたい。
『「知らない」からはじまる』
この本はぼくと娘との共著、韓国文学をテーマにしたいわば家庭内同人誌で、以下のような内容だ。
もともとサウダージ・ブックスのウェブサイトで親子インタビューを連載していたのだが、意外と好評だったので、エッセイを追加して一冊にまとめた次第。韓国文学の翻訳者・斎藤真理子さんが、小泉今日子さんのポッドキャスト番組「ホントのコイズミさん #50」で紹介してくれたこともあり、SNS を中心に話題になった。わかりやすい入門的な内容だったこともあり、これまでも「本は港」のようなイベント会場で、「読みました!」と気軽に声をかけてくださるたくさんのお客さんと出会ってきた。
今回の即売会でも『「知らない」からはじまる』の複数の読者がブースに立ち寄ってくれた。この本を入り口にして韓国文学を読み始めた人。あるいは、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』(斎藤真理子訳、筑摩書房)やチョン・セラン『フィフティ・ピープル』(斎藤真理子訳、亜紀書房)など話題書からK-BOOKにはまり、この本をガイドにして次に読む一冊を見つけた人。こうした人たちが、「その後」の読書体験を楽しそうに報告してくれる。『知らない』の読者は韓国文学を熱心に読み続けていることが多いので、出会えば「最近おもしろかったK-BOOKは?」とかならず聞くようにしているのだ。
こんなお客さんもいた。『「知らない」からはじまる』を含むいろいろな韓国文学関係の本を読むなかで、翻訳者の古川綾子さんの仕事に興味を引かれ、キム・エラン『外は夏』や『ひこうき雲』(亜紀書房)など古川さんが翻訳した作品を追いかけ、そればかりか古川さんのセミナーに参加してお話を聞いたりもしているそうだ。K-BOOK の奥深い世界へさらに一歩踏み出そうという時、ぼくらの本が背中を押す力のひとつになったとしたら、これほどうれしいこともない。「翻訳もすばらしいけど、古川さんが書く訳者のあとがきのエッセイが毎回、いいんですよね〜」「わかります!」とファンどうしでおしゃべりに花がさく。
「ありがとうございました」と満たされた気持ちで最後のお客さんの背中を見送りながら、「もしかたらこれこそぼくが実現したかった本の風景なのかもしれない」という思いがふっとこみ上げてきたのだった。
ぼくが実現したかった本の風景
本を読む人が目の前にいる。その後も本を読み続ける人が目の前にいる。
お客さんがサウダージ・ブックスの本を読むだけではなく、そこからさらに学びを進め、背後にあるさまざまな関連書を読み続ける。そんな体験を内側にたっぷり蓄えた読者がひとり、またひとりと増えていく。人気のない湖に小石を投げ込んだら水面に音もなく波紋が広がるように、自分たちのつくった一冊の本をきっかけにして、読書を通じて何かを感じ、思い、考える「時間」の環がこの社会に広がってゆき、持続的にその厚みを増していく——
『「知らない」からはじまる』の刊行から2年がたったいま、それが現実のものとなりつつある。
ブースにやってきた韓国文学を愛するお客さんの声に耳を傾けるうちにこのことに気づきはじめ、「もしかたらこれこそぼくが実現したかった本の風景なのかもしれない」という思いは確信に変わった。それはイベント終了間際の夕方に訪れた、啓示的な瞬間だった。
これまでに自分が会った「本を読み続ける人」は、現実的な困難に直面している場合でも精神的に充実していて、考える人に特有の静かな雰囲気をもっていた。それはなによりも、「最近おもしろかったのは……」と読んだ本についてぼくに語りかけるときの、発見の喜びに裏打ちされたことばにあらわれている。そこに熱中はあるが、熱狂はない。そしてそのような読者は、自分の目が届かない場所にもきっといるだろう。
ぼくはサウダージ・ブックスの活動を通じてお金持ちになったわけでも名声や地位を得られたわけでもない。しかし編集人としての自分はたしかに、本を通じて「静かな時間」という価値を一人ひとりの読者に送り届け、この社会の一角に根付かせることはできたのだと思う。少なくともその一端を担うことはできた。出版編集の道に入って20年ぐらい経つだろうか。ようやく、そういう仕事を成し遂げる人間になることができたのだ。
ほかにもよい出会いがあった。会場の LOCAL BOOK STORE kita. は1棚1オーナーのいわゆる「シェア型書店」なのだが、その棚主のひとりが妻の大学時代のゼミ仲間のTさんで、遊びに来て本も買ってくれたのだった。こうした縁を大切にしたい。自分たちが作った小さな本を、小さな場所で、人の手から手へと受け渡すこと。それがぼくらのスモールプレス活動の原点だ。
イベントが終了し、ブースを片付けて挨拶を済ませ、帰路につく。この日のサウダージ・ブックスの売り上げは、まずまずといったところ。でも行きよりもほんの少し軽くなったスーツケースを引っ張って歩くぼくの心は、誇らしい気持ちで膨らみきっている。夜空に浮かぶ細い月を眺めながら、家に帰ったら代表の妻に、報告を兼ねて今日のすばらしい発見を自慢しようと思った。