私はこうして心理カウンセラーになった
子どもの頃から機械いじりや天文、アマチュア無線などへの興味と並行して読書も好きだったため、文学作品を通して人間や心にも深い関心を持っていた。文章を書くことも好きだった。大学の工学部では電子工学を専攻して電機メーカーに就職した。主に自動車関連部品の研究開発に従事したが、仕事に慣れるにつれて自分は組織に向かないことが明確になってきたため、10年が経過した時点でスパッと退職した。
学生時代に教えを受けた教授の影響で教育にも関心をもっていたため、退職後は、受験勉強をしていた頃の知識と経験を活かして、夜は小・中・高校生を対象に自宅の一室を使って学習個人教授をしながら、昼間は、エンジニア時代の経験を活かして専門学校でエレクトロニクスを教えたり、大検受験予備校で数学や物理学の講師をした。工業英語の翻訳や通訳、日本語教師もした。つまり、ひとから頼まれ、かつできそうなことは何でもした。
子どもたちに勉強を教える中で、親と面談をしたり、子どもと関わっているうちに、教科の指導だけでなく心理的な接触の重要性にも気づき始めた。そして、ちょうどその頃、カウンセラーという職業があることを知った。1980年代半ばのことである。
その後、本格的にカウンセリングを学ぼうと思い、知人からの紹介もあり、全日本カウンセリング協議会が主催するワークショップ等でカウンセリングを学び、カウンセラーの資格を取得したが、当時は、カウンセラーという職業が社会的にあまり知られていなかったため、すぐには仕事につながらなかった。また、私自身も、仕事に役立てばいいなくらいに思っていた。
1995年に、当時の文部省がスクール・カウンセラー派遣事業を始めると、カウンセラーという職業が、にわかに世間に知られるようになってきた。そして、私がカウンセリングの勉強をしていることが周囲に伝わり始めると、悩みを聞いて欲しい、相談にのってもらいたいというひとが現れ始めた。初めのころは、「まだ勉強中ですが、それでもよければ」というスタンスで空いている時間に無償で相談に乗っていたが、次第に、有料でもいいから続けて欲しいというひとも現れ、だんだんと収入につながっていった。その頃、さらに上の資格(カウンセラー二級)も取得した。
ちょうど、いじめや不登校が社会問題になり始めた頃だったが、臨床心理士が誕生してから、まだ数年しか経っていないこともあり、県内には専門的な相談や医療を受けられる機関も少なく、教員も親も子も、それぞれの立場で困っている状況だった。そこで、知り合いの教員や学習塾関係者と一緒に、不登校について考える会という市民活動を月一のペースで開催したこともあった。たまたまそこに、カウンセリングに理解のある小児科医が参加してくれて、その出会いがきっかけで、非常勤のカウンセラーとしてクリニックで相談にのることになった。また、知人の臨床心理士を介して市内の私立高校に非常勤のカウンセラーとして採用され、一昨年まで20年以上にわたって勤務した。その間も、自宅の一室(個人教授をしていた部屋)をカウンセリングルームにして、さまざまな方たちを支援した。なお、全日本カウンセリング協議会の研修で学んだ知識とスキルだけでは対応できないクライエントもいたため、セミナーやワークショップに参加したり、書物を読みあさりながら、対応力を身につけた。
私がカウンセラーになったのは、ちょうどインターネットが普及し始めた頃だった。独力で開設したホームページを見て、市や県の内外からも面接の申し込みがあった。良くも悪くも、まだSNSはなかったため、ホームページは、ほとんど費用がかからない安全な広報手段であった。
ところで私は、カウンセリングを学び始めた時から、自覚の有無にかかわらず困っている人の数に比べて、資格の有無を問わず「カウンセリングができるひと」の数が極めて少ないことを痛感していた。その理由は多々あるだろうが、悩みの根源は日常の対人関係で生じた小さなトラブルであることと、カウンセラー養成の難しさにポイントがあると直感した。そして、それらに共通するのが「コミュニケーション(対話)のあり方」の問題だということに気づき、その改善のための方法を考えた結果〈対話法〉にたどり着いた。
そして、既存の理論と〈対話法〉との関連を明確化するために改めて心理学を学ぼうと思い、通信制の大学と大学院にで心理学(大学院では臨床心理学)を学び、理論的研究も深め、論文も発表した。修士課程の修了後に受けた臨床心理士の試験は不合格だったが、すでにカウンセラーとして軌道に乗っていたので、再受験のために、それ以上の時間とエネルギーを使う必要はないと考え、受験は一度で終わりにした。
私がカウンセラーとして一定の仕事ができたのには、創立とほぼ同時に私も参加した「ぐんまカウンセリング研究会」(GCA)の存在が大きい。研究会の会員の紹介で、産業保健総合支援センター、公務員の共済組合メンタルヘルス相談委託機関、全国規模のEAP会社の提携カウンセラー、短期大学の学生相談室カウンセラーなどに就くことができた。また、GCAには、精神科医を含む複数の医師も会員としており、時には相談にのってもらったり連携し合えたことも、大きな心の支えになった。GCAが発行していた「ヘルスサイエンス研究」という雑誌に、自身が行ったカウンセリングのケースレポートや〈対話法〉に関する研究論文を投稿する機会があったことも幸運であった。のちに縁あって「ヘルスサイエンス研究」の編集委員長も務めることになり、大学の教員や医療関係者と親しく交流する機会にも恵まれた。
さらに余談になるが、私は、長年、教育関係者が集う市民団体やコーラス団体等の活動にも積極的に関わってきた。ここで培われた人脈や社会経験も、カウンセラーとしての業務の継続に大きく貢献したと思う。