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あずまや・ま遭難事件(?)
私が小学校高学年のときに体験したことです。ちなみに、今回の冒頭の写真は、私が住む群馬県桐生市内にある「吾妻山(あずまやま)」の遠景です。
ある日、一人の同級生(仮に「A君」としておきます)が、家族に、「あずまや・まに行ってくるよ」とだけ告げて家を出たきり、夜遅くなっても帰宅しませんでした。「やま」に行ったきり暗くなっても帰宅しない我が子を心配した両親は、心当たりのある同級生(友だち)に連絡をとることにしました。なお、当時は、一般家庭には、まだ固定電話が普及していなかったため、家族や親しい大人が手分けして、心当たりのある友人宅まで出かけて行って口頭で問い合わせをするしか手段がありませんでした。
我が家を訪ねてきた人(A君の両親の使い)から事の経緯を聞いた私の母親は、A君のことについて何か知っているかと私に尋ねましたが、A君とは友だち付き合いはしているものの、その日の行動については何も知らない旨をA君の家族に伝えてもらいました。
結果的に、その日の夜半、A君は無事に自宅に戻り、家族は一安心しました。そのことを、私は、当日のうちに、あるいは翌日、知ることになりましたが、詳しい経過は覚えていません。しかし、今でも深く記憶に残っているのは、次のような事実です。
後から聞いたところによると、その日、A君が行ったのは、「吾妻山」でなく「あずま屋」だったのです。なお、「あずま屋」は、A君の親族が経営する食堂(現在はありません)でした。A君の家から近いとは言えないものの歩いて行ける距離にありました。もちろん、吾妻山も歩いて往復できる距離です。
ここで事の経緯をまとめると、騒動の原因は、「あずま屋」を「吾妻山」と受け止めた両親の認識、あるいは、そう認識させてしまったA君の発音にあったのです。そして、最も重要なことは、A君の行き先を両親が「耳で聞いた」だけで「確認」しなかったところにあります。「吾妻山」は、子どもでも楽に往復できる山なので安心しきっていたのかも知れません。ましてや、もろもろの条件から、「あずま屋」の可能性があるとは微塵も思わなかったのでしょう。もし、少しでも可能性を考慮していたら、友人に尋ねる前に「あずま屋」に連絡を取っていたことでしょう。
後年、私は、心理カウンセリングと並行して対人コミュニケーションの研究と普及活動をする中で、時々、このエピソードを思い出します。そして、何よりも、「確認型応答」を重視する〈対話法〉というコミュニケーション技法を考案したベースの一つに、その日の強烈な体験があったことは間違いないようです。