いまさらメイクが楽しいなんて
ひとつ、
なんかこんな感じかなー
というところに落ち着いてしまうと、
なかなか抜け出せないのがアラフォー。
結婚して出産して、
自分のことに構ってる余裕もなく過ごすこと5〜6年。
特に顕著なのがファッション関係だろう。
なんせ一度は「顔は洗ったか」まで退化している。
朝のルーティンだけで言えば小学生レベルだ。
そこから、
顔を洗い
スキンケアをし
メイクをし
髪を整え
時に美容院に行く
それが当たり前にできるようになるまでにどれほどの月日がかかったことか。
そして、やっとそれが落ち着いた時にはたと気づくわけだ。
「これでいいんだっけ?」
思ってたんと違う
田舎で真面目に生きていたので、初めてメイクらしいメイクをしたの大学進学前のこと。
たしか母行きつけの近所の化粧品店で、入学式のために最低限のスキンケアとベースメイク、あとリップを買ってもらった。
似合うかどうかもわからないけど、とりあえずメイクをする年になったのだなと思った。
それでも上京して間もなくすると、メイク欲が出てきた。
アイシャドウが欲しくなって足を踏み入れたのは当時住んでいた吉祥寺の化粧品店。
そこで母くらいの歳のBAさんが施してくれたのは、極めてベーシックなベージュ系のアイシャドウ。
あの時のがっかり感ときたら。
テンションが下がった小娘と、
反応に不満げなベテランの微妙~~な空気を思い出す。
いま思えば、メイクとしては正しいのだ。
でも、メイク初心者の、無駄に憧れを募らせていた18歳向きではなかった。
そしてメイクを手に入れた
結局、憧れていたメイク生活は、
雑誌を見たり友達とドラッグストアに行ったりすることで叶えられていく。
顔を彩る楽しみとでも言おうか。
色を乗せ、まつげを濃く長く。
マスカラはランコム派とヘレナ派に分かれて互いの良さをプレゼンしたりしていた。
若い。若すぎる。
ハタチそこそこ、繊細な光を味方に欲する日はまだ遠かった。
はじめのグロス
そんな折、同じように進学で当時の彼氏の妹が上京してきた。
初めて会う彼女に、進学・上京祝いとして贈ったのは透明のリップグロス。
お姉さんぶりたかったのと、こんなことを教えてくれる身近な先輩がほしかったのと半々。
兄弟の中女の子1人だしメイクグッズを贈ってもいいかな、
肌がとてもキレイだからファンデじゃないな、
ナチュラルなファッションが好きだからアイシャドウもなんか違う、
そんな風にいろいろ考えて、少々緊張しながら選んだ。
その後、彼女の兄と結婚した日の2次会だったか3次会だったか、義妹となった彼女がその時のエピソードを話してくれた。
10数年越しのお礼はとても嬉しかった。
キラキラOL生活?
就職してからは、メイクとヒールが戦闘服。
自分で稼いだお金で装うのは嬉しかったし楽しかった。
限定コフレをチェックして予約したり、残業中に抜け出してデパコスを買いに走ったりと、字面だけ見たらリア充極まりない生活。
¥5,000超えのアイシャドウパレットなんてあれ以来買ってないよね。
実際は21時まで働く日がほとんど、
納期前は終電近いみたいな日々だったわけだけど。
本屋なんてとうに閉まった時間にコンビニでVOCEを買って、
深夜に納豆ご飯を食べながら読むというなんともちぐはぐな生活だった。
空白の5年
その後、結婚して、退職して、までは普通だった。
さらに、海外行って、妊娠して出産。
この辺の5年くらいは…メイクしたりしなかったり…してる場合じゃなかったり。
というわけで、お察しいただいてざくっと端折る。
からのリハビリ
産後、専業主婦だった私がメイクに復帰できたのは、娘たちのおかげだと思う。
膝に乗る長女
長女が1歳を過ぎた頃、メイク中必ず膝に乗る時期があった。
長女の頭の横から顔を出して鏡を見て、体幹を鍛えながらマスカラを塗ったことを覚えている。
鏡を見ながらそれっぽく真似をする子はとても可愛かったが、蓋をしたマスカラで目を突きそうになるので油断できなかった。
至近距離でガン見する次女
次女もまた、メイク中の母を見るのが好きな時期があった。
姉妹で代わる代わる見に来ては何かを漁って、あるいは近すぎる距離で見る子たち。
顔に「やりたいやりたい」と書いてある。
とはいえ、冗談でも顔に塗るのはさすがに抵抗があったので、ある時ふと思い立って次女の手の甲にアイシャドウをサッと塗ってあげた。
すると、もう、目がキラッキラである。
早速長女に自慢しに走り、当然のように交代で長女が来た。
その日からしばらくそれが習慣になった。
自分が使っているものの時もあれば、敢えてパール感やラメの強いものを選んであげた時もある。
可愛い思い出だ。
迷走するアラフォー
そして、そのまま迎えたアラフォー。
仕事も始めて、毎日きちんとメイクはしていた。
していたけれど、ほんの少し前まで、
「これでいいんだっけ?」
と思っていた。
思っていたけど、「いいんじゃね?」で済ませていた。
そんな日々が続いていた。
光明
そこに、この本である。
もともと好きなマンガ家さんだったし、SNSでチラ見する内容がツボ過ぎたので買ってみたら、期待以上に面白かった。
BAパンダさんの、
あくまで友人の悩みに答えただけ、
他でもないあなたと向き合っている目の前のBAさんには勝てない、
というスタンスが、誠意があってとても好き。
赤みブラウンメイクと祭り
顔色的にも顔立ち的にも寒色系アイメイクが似合わないことは20代で気づいた。
それでも敢えてな楽しみ方をしていた時もあった。
けど、結局落ち着くところはベージュ~ゴールド~ブラウン。
光よ。
いまならきっと吉祥寺のマダムと話が合う。
若干離れ目気味なので、ナチュラルカラーで目の中央に光を持ってくる塗り方が好きだ。
が、
・ヴィセのピンク系8色パレット買ったこと
・100%テレワークになり少々冒険しても問題ない状況になったこと
・次女も小学校に入学して朝余裕ができたこと
などでいろいろ試すようになったら
赤系ポイントカラーを使うのが楽しくなった。
↓マスク生活には赤系がおすすめだそうです
うまくできたのともまた違う高揚が我ながら不思議だったのだが、
ある時、メイクの原点が幼少期の地元のお祭りだからだと思い至る。
数年に一度のお祭りの時だけ、我が家でもメイクが許されていた。衣装のひとつとして、だけれど。
メガネザル時代の写真の中で唯一の素顔(違うけど)なのも嬉しかったなぁ。
顔はパウダー叩くくらいだったと思う。
白塗りに近いほどガッツリメイクしてる子も居た。
鮮烈なのは、仕上げに入れる目尻の紅。
繰り出した口紅のリップブラシで出来たくぼみをなぞった母の指が、目尻にそっと押し付けられる感覚がやけに生々しくよみがえる。
ちなみに現在愛用のアイパレットはこれ。
2020年の限定品??普通に最近店頭で買ったんだが…
まつ毛でまぶたを持ち上げろ
ベージュブラウン系に落ち着いていたとはいえ、アイシャドウとアイラインは続けていた。
しかし、花粉症がひどく、まぶたも垂れてきたのかパンダ目が止まらなくなった40歳前後、めんどくさくなってマスカラをやめた。
けど、BAパンダ本が話題になったのと時を同じくして、SNSで
まぶたが垂れてきたときこそマスカラ!!
の声を聞いて、単純に、そりゃそうだよなと思った。
再開してみれば、意外とパンダ目にならないのが不思議ではある。
やっぱり花粉かな。
楽しいことが増えるのはいいことだ
そんなわけで、いろいろ重なって、いまはメイクが楽しい。
コンシーラー迷子だったり、コロナもあって元々軽視してるリップメイクが置いてけぼりになったりはしてるけど。
ここのシミは一発レーザー打ちに行ってしまおうかなーなんて思ったりもするけど。
時代遅れなんて言われてもリキッドアイライナーが手放せないけど。
まさかアラフォーになって、今更メイクが楽しくなるとは思わなかった。
人生まだまだ嬉しい誤算があるものだ。
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