浅埜マリ
長めエッセイ。 日々思うことを、ちょっと立ち止まってつらつらと書きます。
他のクリエイターさんの記事。 特に好きなものを集めてます。
短い言葉でどれだけ多くのことを伝えられるか。 自分にお題を出して書いてます。 実験と修行を兼ねた、創作まじりのエッセイです。
この度noteを始めました。 浅埜マリ、と名乗っています。 = 始めたきっかけは、岸田奈美さんのこのnote。 なるほど、と思った。 文字を読むのも書くのも好きな人生だ。 何かを遺すなら言葉がいい。 = 常に何か書いてはいる。 最も愛するTwitterは10年選手、いまや脳内常時接続と言ってもいい。 脳のリソースを食わせるのはもったいないネガティブな感情、可視化したいポジティブな感情や気づき、顕示欲、承認欲求。 一瞬くらいは逡巡するが、気づいたらポチっと放流
この地に来て、1年と8ヶ月が経った。 もう少しで、かの地に戻ることになる。 この結論を出すまでには、それなりに葛藤があった。 不確定な任期まず、夫の任期は、ほぼ2年だろうと思われた。 前任者の任期や慣例等々からの推測ではあったが。 2年目を迎える去年の夏前、私は辞令が出るのをいまかいまかと待っていた。 ところが、連絡がない。 待てど暮らせど、連絡がない。 オヤオヤ??と思っているうちに時が過ぎ、夏休みが始まった頃にはさすがに察した。 どうやら、まだ帰れない。
「味噌汁にしめじを入れたら、ほか何入れる?」 という問いを見た。 しめじ。 しめじか。 私だったら、 キャベツと厚揚げとにんじんかなぁ。 ちょっと味噌鍋的な。 例えばどんな味噌汁我が家のスープは、主菜の味によって 味噌ベース 醤油ベース 鶏ガラベース コンソメベース をぐるぐるしている。 最近ちょっと味噌汁の出番が少ないかもしれない。 主菜から決める 具も、主菜が決まってから決めることが多い。 主菜の量がちょっと少なめだったら、具沢山にしたり芋類を
夏が終わった。 夏休みが終わった。 会いたかったよ、給食。 …というわけで、やっと日常が戻ってきました。 夏休み前から更新は滞っているわけですが、それはさておき。 そろそろ何か書きたいなー書かなきゃ錆びるなー、とぼんやり思っていた時、長女が唐突に 「横浜流星さんはジャニーズのなんてグループなの?」 と聞いてきました。 「何言ってるの、横浜流星はヒカリじゃん」 「へー、”ヒカリ”ってグループなんだ」 「ちがーう、トッキュウジャー!トッキュウ4号のヒカリ!!」 「あー…う
月イチ更新目標が崩れ去って季節は初夏。 この空白の2ヶ月、急激に沼落ちしまして、己のフリータイムはほぼ推し活に捧げる勢いで過ごしておりました。 いや自分でもびっくり。 そのあたりのことは、まぁ、別途書く機会があればーという感じで今は濁しておきます。 鉄も熱すぎると打てない、そんな感じです。 一方、急な推しとはまた別に、なんだかんだゆるやかにずっと好きで推してる方もまた居るわけで。 そちらを好きになったきっかけを改めて思い出していたら、自分の好みというか傾向が露骨だった
身も蓋もないタイトルそのまま、早速行ってみましょう。 銀色夏生『君のそばで会おう』 言わずと知れた詩の名手。 鮮やかで瑞々しい写真と、添えられた丁寧でしずかな、でもどこかあやうい言葉たちに触れて囚われた人も多いことだろう。 いま思えば、写真集のような美しい本、というものに初めて触れた機会でもあった。 掲題の作品は1988年の刊行だそうで、でも知ったのは中学だったかな。 『微笑みながら消えていく』 『わかりやすい恋』 『Go Go Heavenの勇気』 『あの空は夏の中
桜に彩られたポスターをあちこちで見かけるようになった。 雪国の冬も、いよいよ終わりに近づいているらしい。 雪のある暮らしとはなんぞや現在の居住地は、いわゆる豪雪地帯に指定されている地域である。 雪と縁遠すぎる人生を送ってきたので、何を準備してよいものか見当もつかず、秋ごろからリサーチしまくっていた。 風花(かざはな)で大はしゃぎするみかんとお茶の国の人間にとって、雪とは『遠足で観に行くもの』だ。 雪見遠足は珍しいらしい 他県の人には意味が分からないと言われたが、実
年の瀬にSNSを賑わせる「今年買って良かったもの」ネタが好きだ。 思いがけない人の思いがけない買い物、思いがけない好み。 添えられたコメントに滲む感性や生活が微笑ましい。 例に漏れず自分も投稿してみたが、そういえば書きそびれたものがあった。 それが、これ。 昨年の11月から、書道教室に通い始めたのだ。 娘たちが。 そして私も。 実は人生初四十路にして初めての書道教室である。 兄姉は子どもの頃習っていたが、それぞれがそれぞれの友達と別の教室に通っていたらしく、
一応、文章を書く仕事をしている。 自社サイトだし、ブログに毛が生えたような…と言えなくもないが、それでお金を貰っているのでライターの端くれと言っても支障はないだろう。 (なおnoteは100%プライベートなんで、いろいろ荒いまま出しています)(そして後から地味に編集している) なんでこんなことを急に書き出したかといえば、夏休みに娘たちの読書感想文を見ていて、文章の書き方をうまく説明できなかったからだ。 そんなわけで、良し悪しはさておき、ライティング仕事の時の自分の文章
この春、次女が小学生になった。 新天地ではあるが小学生ママ1年生ではないし、と油断していたら、これが結構、予想以上に負担だ。 我が家の現状我が家は、現在以下のような状況。 ①次女が小学生になった ②長女が学童に入れていない ③母自身がフルリモートワーク@自宅である ④期間限定の滞在である 地味に効いてくるのが④で、知り合いがほぼ居ないために「友達と遊ぶ」「ママ友とちょっとお茶」みたいなイベントが限りなく少ない。 引っ越しから半年超、長女がぽつりぽつりと放課後の約束を
私には、日常的に「最悪」を想定するクセがある。 だからこそ運転が嫌いなのだけど。 これは娘たちにも引き継がれているらしいけれど。 SEとしては、まぁ良かったかもしれない。 より使いやすい設計、より効率の良い処理、もちろんそれも大切だが、商業システムで最も大切なのは「落ちないこと」。 エラーをどう拾うかが肝だからだ。 If、when、while。 プログラム言語は「もしも」に満ちている。 ・ 大切な人が増えると「最悪」も増える。 夫を喪ったら。 子どもを喪った
ひとつ、 なんかこんな感じかなー というところに落ち着いてしまうと、 なかなか抜け出せないのがアラフォー。 結婚して出産して、 自分のことに構ってる余裕もなく過ごすこと5〜6年。 特に顕著なのがファッション関係だろう。 なんせ一度は「顔は洗ったか」まで退化している。 朝のルーティンだけで言えば小学生レベルだ。 そこから、 顔を洗い スキンケアをし メイクをし 髪を整え 時に美容院に行く それが当たり前にできるようになるまでにどれほどの月日がかかったことか。
前職がSEだ、などと言うと、ちょっと理系的な印象を持たれることがある。 しかし、その実、中身はバリバリの文系だ。 もともとの資質も大いにあろうが、方向性を決定づけたのは「淀君」と「紫式部」である、と言っても過言ではない。 出会いは小5、児童館。小学生の頃、ごくたまに行く児童館があった。 基本的に、放課後は近所の神社の境内か友達の家で遊んでいた。よって、学校よりさらに遠いその児童館に行っていたのは本当に限られた時期だけだったと思う。 そこには、あまり広くはない図書室が
新学期、新しい学校への転入を前にして、長女はひたすら前向きだった。 「楽しみ~!」「早く学校始まらないかなぁ」と毎日のように言っていた。 4月に入って、次女だけが学童に通うようになり(長女も申し込んだが落ちた)、暇を持て余していたせいもあるとは思う。 けれど、母は密かにそのポジティブさに驚いていた。 いつの間に新しい環境に物怖じしなくなったのか。 幼稚園に行きたくないと、 毎朝まだ寝ている母の顔を覗き込んで涙を落とし、 GW明けまで泣き叫びながらバスに乗っていたあの子と
単身赴任&フルワンオペ生活も半年が経過。 終わりが近づいてきたいま改めて思うことは、掲題の通り。 アレクサを導入することを思いついた自分を褒め倒したい勢いである。 Echo show10 × Echo show8夫が単身赴任するにあたって導入したのはAmazon echo show 10。赴任先には、ひと回り小さいecho show8を設置した。 型が違うのは、何のことはない、プライムセールを待ったものの8しかセールにならなかったからだ。 子どもだけでカンタン発信朝起
褒められたこと、言われて嬉しかった言葉をしつこく覚えているタチだ。 自分でもやや気持ち悪いなと思う時もあるが、 時折こっそりと取り出して眺めてまた戻す。 メルヘンチックな言い方をするならば、こころの宝石箱というやつだ。 「口は悪いが性格は悪くない」 「あなたのことは知らなかったけれど、先に面談した下の子たちが何人も名前を口にしたので覚えました」 「道で待つ立ち姿に惚れ惚れした」 「良記事の典型だと思います」 「女神のようなオーラある女性」 「おかあさんだいすき!