厳しい先生の前だけで「ちゃんと」できても意味はない。〜他律と自律について〜
他律(たりつ)と自律は、人間の行動において対照的な概念です。
他律とは、以下のような意味を持つ言葉です。
自らの意志によらず、他からの命令や強制によって行動すること。これは自己決定ではなく、外部からの規則や指示に従って行動することを指します。逆に、自己決定で行動することは自律と言います。
自律とは、自分自身の規範に従って行動することを指します。自己決定で行動することが自律です。
自律的な行動の具体例は、
早めにご飯を食べる
観たいテレビ番組があるから、早めにご飯を食べて時間を確保する。1本早い電車に乗る:
仕事に遅刻しないように、通勤時に1本早い電車を選ぶ。
発達障害のある子どもだけでなく、定型発達の子どもにとっても自律的に生きていくことは非常に重要になってくると思います。
他律的に生きていくことの危うさ
他律的に生きていくことの危うさについて考えていきたいと思います。
子どもが通っている保育園や幼稚園、小学校や特別支援学校に「厳しい先生」っていませんか?
先生が高圧的な態度をとって、大きな声で「ちゃんと 座りなさい!」と言うと子どもがその「先生の前では」ちゃんと座って学習しているような状況です。
幼児や小学生にとっては、先生の言うことは絶対なので、従わせるのは比較的難しくはありません。
このような状況は他律的な(圧がかかった支配的な)クラス運営といえます。
先生が高圧的な態度でガツンといってやるやり方は、その場では効果はあります。
その場合、子どもたちに強いタガをはめている状態で、子どもの行動は統制されます。その状態の子どもたちの見た目は良いです。
問題なのは「厳しい先生」がいなくなった後です。
子どもたちはタガが外れ、子どもの行動が自由奔放になり、自律する力が育っていないまま社会に出ていくことになります。
他者からの指示・管理・監督で行動するようになってしまいます。
厳しい先生の前だけで「ちゃんと」できても意味はありません。
他律的に生きていくということは、その「厳しい先生」に依存して生きていくことです。
自律的に生きていく
自律とは簡単にいうと、「自分で考えて行動する」ことだと考えています。
自律性を高めるには意思決定を積極的に行うことが必要です。
小さなことでも、自分の意思で選択し、決断することを積み重ねていきます。
例えば、遊びたいおもちゃを選ぶ、食べたい夕食のメニューを選ぶなどがすぐにできると思います。提供できない選択肢は提示しない方がよろしいかと思います。
しかし、勝手なことばかりしていい、というわけではありません。匙加減の問題で、指示に従って、この枠組みでやってくださいね、ということは必要です。
必要な規制、統制はあります。
ちょうど良い湯加減が大事なのです。