痛みと人生(連載 ストーリーで理解する痛みマネジメント 11、最終回 月刊スポーツメディスン229号)


永田将行・東小金井さくらクリニック、NPO 法人ペインヘルスケアネットワーク プロボノ、理学療法士
江原弘之・NPO 法人ペイン・ヘルスケア・ネットワーク代表理事、西鶴間メディカルクリニックリハビリテーション科部長、認定理学療法士(運動器)

連載目次ページ
https://note.com/asano_masashi/n/n766d3be24ce4

 本連載では、「3カ月以上続き、原因がはっきりせず著明なADL制限をきたし、心理社会的要因が関与した長引く痛み」である慢性疼痛(主にICD-11の慢性一次性疼痛)について、アスリートやスポーツ愛好家を例にしてお伝えしてきました。原因が複雑かつ不明瞭な慢性疼痛は、生物心理社会的モデルに沿った治療を進めていくことが推奨されています。医師による治療や、理学療法士やアスレティックトレーナーなどの運動療法を主体としたリハビリに加え、臨床心理士が行う認知行動療法により誤った痛みの認識を修正し、前向きに元の生活やスポーツ活動に戻れるような援助をしていきます。また、痛みに関して正しい知識を持ち、適切な対処行動をとるための、生物心理社会的モデルに基づいた患者教育も重要です。慢性疼痛に陥る患者というと見るからに元気がなく心身が弱った人を想像してしまいますが、日頃から運動習慣があり鍛錬を重ねているスポーツ選手でも、様々なライフイベントなどのちょっとしたきっかけにより慢性疼痛に陥る可能性はあります。これまで、治療者・指導者側の皆様にもイメージしやすくするため、同じような痛みの症状でありながら対照的な背景を呈する2人の患者のストーリーを比較し、理解の手助けとしてきました。そこでは、痛みの訴えの背景となる心理社会的要因、言い換えれば人生の影響についても述べてきました。そこで、連載の最終回では、より深く痛みを理解するために、痛みと人生という大きなテーマで、人間の生涯に関わる痛みについて書き進めていきたいと思います。

 医療の進歩で人間の寿命が延びた昨今では、いかに健康的に生きる時間を長くしていくかという健康寿命の重要性が叫ばれています。スポーツに取り組むことは、健康寿命延伸のためによい影響をもたらすでしょう。生涯にわたって前向きに、夢中になって好きなスポーツに取り組むために、各々のライフステージで生じる痛みについて理解しておくことは、大きな助けとなるはずです。

 スポーツ外傷の受傷から回復に至る間の選手の様子を見ていると、痛みの表現や振る舞いは様々であります。同じようなケガや痛みでも全く痛みを気にしていない選手から、受傷した部位を大事にかばっている選手まで幅広くいます。痛みの訴えは過去の経験や心理社会的要因により修飾され、発言や行動など様々な表現型である「痛み行動」を呈します。過去の経験とは赤ちゃんから大人に成長する過程で、学んできたことが反映され痛みに関わることを意味します。ケガをしたときの侵害受容刺激の体験をして、周囲の反応を学習することを繰り返して、痛みをどのように表現していくかを学びます。そのために、受傷した選手の訴えを理解し共感しようとするならば、その選手がどのようなライフステージに位置し、どのような人生を歩んできたかについて考えることは大切になります。とくに慢性疼痛においては、人生の文脈を抜きにしては、痛みの訴えを理解するのは難しくなります。

幼児期の痛み

 生物の身体に存在する侵害受容器が身体を脅かす侵害刺激によって興奮すると、求心性のインパルスが感覚神経を介し、脊髄を経由して大脳に達することで身体が痛いと認識します。生物にとって痛みは、生活する環境でそれぞれ学習されていきます。

 例として、火の危険性について学ぶ子犬について述べます。子犬は、最初は火のことを何も知りません。身体を害する危険なものとわかるのは、実は母犬の行動を見て「火は危険なものだ」と学んでいるからなのです。これを「社会的参照」といいます。人間の赤ちゃんも同様に最初から痛みを認知しているわけではありません。寝返りや立ち上がりなどの運動機能を発達させる過程で、ぶつかったり転んだりして受けた経験から痛みを学んでいきます。痛みを脳に伝える受容器から大脳までの痛覚伝導路はすでに形成されているので、赤ちゃんでも侵害刺激を感じますが、その侵害刺激を脳で認知してもその意味付けがなされていません。最初は痛いというよりも、侵害刺激を得体の知れない恐怖と感じます。転んだときに感じる痛みという刺激に対し、対処できず泣いているのです。そのときにお母さんなどの周りの人が「大丈夫? 痛いの痛いの飛〜んでけ!」と笑顔で言われて初めて安心し、得体の知れない侵害刺激とそれに伴う感情を受け止めることができます。「得体の知れない感覚」だったものが「痛み」と周りの人から教えられ認知し、転んで感じたこの痛みが「大丈夫なもの」と意味付けされ学習します。したがって、この過程で適切に痛みを学習した幼児とそうでない幼児には、成人期以降の痛みの受容に差が生じる可能性が指摘されています。

 幼児期の人間が遭遇する痛みの臨床的な特徴としては、痛みの測定が行いにくく痛みから気をそらせやすいことが挙げられます。痛みの強度の評価で用いる「最大の痛みを10とすると今の痛みはいくつくらいですか?』というような痛みの自己評価尺度はまだ子どもには難しいです。代わりに、痛みを表した顔の絵を用いたFace scaleが用いられています(図1)。痛みを表現しにくいことは子どもの痛みを過小評価しやすい原因となりやすく注意したい点です。また痛みからの気をそらしやすい特徴は、慢性疼痛治療に利用されています。薬でコントロールしにくいがんなどの難治性の痛み(がんの痛みは多面的な要因によるトータルペインと呼ばれています)の緩和に、子どもでも読める絵本が利用されています。痛みから気をそらすことができても、痛みがなくなったわけではなく、また器質的に問題がないということでもありません。幼児期の痛みの評価測定が難しいものとして、医療者はその情報を慎重に取り扱うべきだと考えます。

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