アドヒアランス(連載 ストーリーで理解する痛みマネジメント 10 月刊スポーツメディスン228号)


永田将行・東小金井さくらクリニック、NPO 法人ペインヘルスケアネットワーク プロボノ、理学療法士
江原弘之・NPO 法人ペイン・ヘルスケア・ネットワーク代表理事、西鶴間メディカルクリニックリハビリテーション科部長、認定理学療法士(運動器)

連載目次ページ
https://note.com/asano_masashi/n/n766d3be24ce4

痛みとアドヒアランス

 スポーツにおいてケガから復帰するために大切なことは、焦らずに治療や必要に応じて処方されたリハビリテーションを段階的に進めていくことです。しかし、プロトコルが明確に示された復帰への見通しが立つケガや痛みであれば苦しさにも耐えられますが、原因が明確でなく症状も日々変化する慢性疼痛においては、右肩上がりに改善する保証もなく、選手の意志だけで乗り越えるのは容易ではないでしょう。

 また、治療計画が決められていても、復帰を焦って早期に負荷をかけてしまうことや、逆に過剰に保護してしまい機能改善が停滞すると、スポーツ復帰に悪影響を及ぼします。とくにアスリートにおいては、ケガからの復帰後も競技パフォーマンスレベルを保つために、日常生活レベルが目標の方々に比べリハビリ中に大きな負荷をかけていきます。したがって、より段階的な計画に基づく負荷設定とそれを守ることが必要になってきます。

 このような肉体的にも精神的にも決して楽とは言えない取り組みにおいて、指示に対して言われるがまま受動的に取り組む態度の選手と、医療者のアドバイスに質問し意見交換を能動的に行う態度の選手との間には、進捗状況やその後のアウトカムに差があるように感じています。またケガをして試合に出られなくなったことで生じた喪失感をいつまでも引きずっていたり、復帰に対して悲観的な考えを持ったりしたままだと行き詰まってしまうことさえあります。

 とくに慢性疼痛においては、痛みの感覚が身体の異常を知らせる警告信号としての役割を果たしていないため、痛みの治療とパフォーマンスアップを区別してトレーニングに臨みます。そのため、痛みに対する適切な知識を持ち、その日の調子を把握し治療者や指導者に報告できる自己観察能力や、能動的にかつ自制的に取り組むことができる自己管理能力が求められます。能動的とは主体的に目標を決め率先して取り組むこと、自制的とは決めた範囲内で最大限努力することです。自分で率先して決めた目標ならば達成するための努力を継続し、現実を知りつつ楽観的な気持ちを保ち前向きに進むことができるでしょう。このような取り組みは痛みを過大に感じてしまうことを防ぐはずです。

コンプライアンスからアドヒアランスへ

 このように、患者が積極的に治療やトレーニング方針の決定に参加し、その決定を理解し介入を受けている状態を「アドヒアランス」といいます。アドヒアランスは主に慢性性を持つ疾患の療養に必要な概念として2003年に「患者が服薬、食事療法、生活習慣の改善、運動などに関して、医療者の勧めに自ら同意し一致した行動をとっている程度」とWHOが定義しました。それまでは、患者の療養行動は医療者からのアドバイスをいかに守れるかの忠実性、「コンプライアンス」の概念で成立してきました(図1)。通院や対面のセッション時以外の生活の中で、健康状態を自己管理できないと「あの患者はコンプライアンスが悪い」とレッテルを貼られ非難の対象にされてきました。しかし、どれだけ療養行動の遵守を介入者が真摯に促しても自己管理できない例はなくならず、このような「患者は治療に従順であるべき」という患者依存の治療概念から脱し、「自分自身を支える責任をもつ」概念が必要となりアドヒアランスが議論されるようになりました。とくに慢性疾患では最適な健康を維持するために、長期間にわたって患者を取り巻く多くの関係者によって支えられ、複雑な体調や治療内容の変化に耐えることが必要になってきます。

図1 コンプライアンスとアドヒアランス

 筋骨格系疾患の変形性膝関節症を例に挙げると、短期的な治療やリハビリだけではなく、生涯にわたって治療やケアが必要であることがアドヒアランス研究で示されています。膝の腫脹が強い急性期には治療を行い、積極的な除痛と機能改善を行います。亜急性期にはリハビリ・運動療法や杖の使用を行い、機能改善と変形の予防を図ります。保存療法を徹底的に行っても改善しなかった場合には人工関節置換術などの観血的な治療を行います。同じ疾患でも病期や痛みの程度、患者個人の価値観や環境などによって目標も手段も大きく変化するため、医師や理学療法士などと意見を交換し、その都度方針を決定していくことになります。

アドヒアランスと筋骨格系疼痛疾患との関係

 筋骨格系疾患のリハビリや治療成果においてアドヒアランスが影響するという報告が多数あります。リハビリにおけるアドヒアランスは、外来理学療法セッションへの参加、治療者からのアドバイスへの同意、指示された課題を完遂した程度によって構成される多次元のアドヒアランスによって、治療者のアドバイスに対する理解や取り組みの程度を定義していることがあります(図2)。慢性腰痛の研究では多次元アドヒアランスが高いほど痛みや機能障害の改善が期待できる研究結果もあり、関連が報告されています。


図2 多次元で構成されたアドヒアランス

 日本をはじめ世界各国の腰痛ガイドラインでは、画像上問題がない非特異的な慢性腰痛に対しては、運動療法が痛みや機能障害を短期的に緩和できる中等度のエビデンスがあると示されています。治療者はその治療効果をできるだけ長く持続させるために、患者にホームエクササイズを継続するよう指導します。しかし、長期的な視点では患者はホームエクササイズを継続して行うことができなくなることがわかっています。その他のアドヒアランス研究では、自分の意志で研究に参加したけれども途中で脱落する被験者が50%に達していたというものもあり、痛みの改善効果は認められていても、実際に行う患者の目標やニードや嗜好性も考慮し、エクササイズを継続していくための新たなパラダイムが必要だと言われています。

 アドヒアランスの低下は、治療やエクササイズの継続だけでなく、適切な治療関係にも影響し、通院中断となるドロップアウトを引き起こすこともあります。アドヒアランス維持に関わる要因について、アスリート、介入者、環境面の3つの側面から考えてみたいと思います。

選手側の要因

・痛みの強さ

・原因についての考え方

・適切な知識の有無

・治療内容についての考え方

・自己効力感

・心理社会的要因

 慢性疼痛が主訴の場合、非器質的疼痛や中枢性感作についての知識不足が不適切な行動につながる可能性があります。また運動療法による機能改善が主なアプローチになりますが、補助的に用いる物理療法の短期的な効果をポジティヴに感じやすいです。しかし、短期的で即時的な効果に頼りきって機能改善に目が向かなくなることもありますので、長期的な視点で運動療法のメリットを伝えるとよいでしょう。痛みの軽減は重要な項目で、痛み軽減の効果が感じられないのは選手に限らず運動療法や慢性疼痛リハビリセッションの早期ドロップアウトにつながりやすいため、鎮痛剤や治療内容については常に見直しが必要です。低い自己効力感はホームエクササイズの取り組みを低下させ、運動アドヒアランスに関わります。

介入者の問題

・生物医学モデルに偏った説明や治療

・コミュニケーションスキル(傾聴・共感・ユーモア・適度な自信など)

・実践的なスキル(専門知識と継続した学び・柔軟な個別対応能力)

 介入者の誤った知識はそれだけで治療の妨げになります。知識は常にアップデートすべきです。とくに慢性疼痛においては、選手の身体を機械的にとらえる生物医学モデルから、より包括的かつ全人間的な生物心理社会モデルへの転換は必須となります。

 傾聴や共感的な態度は患者の生活やスポーツ中の苦しみを理解していることを示します。共感の欠如は相互関係の大きな障壁となります。また緊迫した関係よりも適度な緊張と弛緩がある肯定的な関係づくりが大切であり、そのためにはユーモアのセンスを持つことが有用です。

 介入者の自信は、信頼を高め相互作用に役立ちます。しかし、過剰になり印象を悪くしないように注意が必要です。介入者の態度は、選手を依存的にも、拒絶的にもしますので、ほどよい距離感と適度な自己顕示を保つようにしましょう。それ以外にも介入者の表情や振る舞いも関係づくりに影響するようです。実践的スキルとは、選択したエクササイズの理由づけや治療計画の説明などを行い、適切に実行していくことを指します。そのような説明を行わず、選手の理解を確認せずに進めていくことが不安を強め関係性に影響します。

環境の問題

・病院や施設へのアクセス

・設備内容

・一緒に取り組む仲間や指導者との社会関係

・家族との関係

・チームでの役割や期待など

・経済的条件

「いい病院が見つかったが、自宅から遠方のため通院に時間がかかり負担が大きく通院しなくなってしまった」、これはアドヒアランスのうち出席に関わりますが、このような環境面の問題はリハビリや治療の開始初期に関わり、早期のドロップアウトを引き起こします。後期になると、セッションへの参加や介入者からの指示は守れるのですが、一緒に伴走してくれるパートナーの有無の影響を受けます。支援してくれる家族の問題もこれに含まれます。社会関係要因は女性のクライアントに影響を及ぼしやすいという報告もあります。継続して取り組むためには、リハビリやトレーニングの期間によって指導の工夫が必要かもしれません。1対1の関係から広げた複数の人間関係が運動継続につながります。

 また、チームにおける役割、周囲からの期待、チームスポーツであればポジション争いなども取り組みに影響してくるでしょう。自分の居場所が保障されているという安心感は、リハビリに集中して取り組むための下支えとなります。

 経済的条件も、アドヒアランスを左右する大事な要因です。保険などを確認し、本人の希望を最大限尊重しつつ経済的な負担が最小になるよう、介入量・頻度を調整していきます。

2人のアスリートの例

 アドヒアランスを高く保ち地道に取り組む患者や選手は、医師や理学療法士など介入者と適切なコミュニケーションが取れていて、時間はかかっても症状やパフォーマンスが改善していく経験をしています。付かず離れずのパートナーシップを、介入者、選手側の間に結んでいくことが成果向上につながります。選手は自己管理、自己観察に責任を持ち、介入者と適切なコミュニケーションをとっていきましょう。そのためにも介入者はパートナーシップに対して常に俯瞰的な視点を持って、感情的にならないよう注意すべきです。禁忌事項の遵守は重要ですが、復帰を焦る選手の気持ちに寄り添い批判的な伝え方にならないようにする意識を常に念頭に置いておきたいです。

 ここで2人のアスリートの受傷から競技復帰までの例を紹介します。両者とも膝関節の前十字靭帯再建術を受けた選手です。選手の言動、介入者とのコミュニケーション、環境に着目しながら読み比べてください。

・A選手

 練習中、競り合っていた相手選手が自身の下肢上に転倒し受傷。

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