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大人と子ども

今日、愛犬が手術をした。13年間一度も病気をしたことのない健康な犬だった。

おまけにどこかへ預けたことも一泊したこともない箱入り息子が、今、きっと見知らぬ病院の見知らぬ部屋で、見知らぬ人と動物たちの中で眠っている。心細いというより、致し方なくて、たぶん寝ている。

病気が見つかってから一ヶ月、手術の予定が入ってから今日までの一週間は本当に長かった。私は病状を知り、弱った犬の食べられるものを探し回ってやっと口に入れたあたりでもう参ってしまった。さんざん泣き言を言っていっしょに弱っていく軟弱者をまとめて支えたのは母である。私は彼女のちょうど半分しか生きていないが、これから倍くらい生きればこの人のようになれるとはとても思えない。年の功だけではない。母は強い。つくづく実感する。

そして今日、ついに手術日を迎えた。
午前中に預けに行ったものの、開始は夕方近くと言われた。それからのことはぼんやりとしか覚えていない。いっしょに預けたご飯のミルクを買い足して届け、そのままその辺でほとんど喉を通らないご飯を食べ、帰り、手術前の連絡をひたすら待ち、受け、なるべく嫌な想像をしないようにしながら、ひたすら時間が過ぎるのを待った。

私は前の日からずっと、中勘助「銀の匙」を読んでいた。
かなり前に書評で見て買ってから、ずいぶん長い間本棚にある一冊だった。さわりを読んで気に入り、きっと好きな本だと思いつつ、拾い読みしかしてこなかった。

なぜ今これなのかと思ったら、どうも私は主人公の「私」を手塩にかけて育てている「伯母さん」に気持ちを重ねているようだった。事情で育てられない実母の代わりに、子もなく夫を亡くした自分の生きがいとして、本当に珠のように、病弱な「私」を大事に大事に育てる「伯母さん」。
小さな子どものわがままにどれだけ振り回されてもつき合い、なだめすかして育てていく姿がつらつら書かれているのを読むたびに感嘆した。知らず知らずのうちに自分と愛犬のことに置き換えつつ読み進めていた。
正直言って私はとても彼女ほど尽くせてなどないけど、心から大事な家族で、兄弟のような、息子のような存在だと思ってる。だからどれだけ心配してもし尽くせないような子がいる気持ちだけは、少し、わかる。大人はやっぱり一生子どもの心配をしてしまうものだと思う。

私はすぐ気が散って読むのが遅いので、「銀の匙」は実はまだ読み終えていない。これからもう少し読んで、明日の朝、術後の経過がいいという愛犬を、急いで迎えに行こうと思う。全部読み終える頃には、きっと前向きな日々になっていることを祈る。

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