私になるまで36
大阪市内の交通量と道路が迷路のように見える。電車ではよく行っていた大阪市内も車で行くと、田舎者にとっては大変な思い…それでもなんとか病院にたどり着く。天王寺駅からまっすぐ歩けば簡単だったが、首の痛みを考え、慣れない大都会の車両を走ってくれる父には感謝しかない。
病院の受付を済ませ、整形外科の診察室の前で待つ。首の痛みは相変わらず気休めに湿布を貼っていた。ここはかなり患者数が多くてかなり待たされた。その日は先生が週一で病院に来る日らしい。脳性麻痺の人がやけに多い。こんなにも首を患っている人がいるんだ。そうして神様にすがるような思いで先生を訪ねてきている。座ったままでいると背中の痛みは加速しだしていた。母が私の背中をさすりながら心配そうにしていた。後ろに座っていたおばさんが「大丈夫?」と声をかけてくれる。うんうんと首を縦に振る度にかくんかくんとする。「和歌山の大島から来たんで、ちょっと疲れてしまって」というと、「私若い頃にフェリーで行ったことがあるよ。港の近くにタバコ屋さんがあった。喫茶店に入ったよ。」おー今はフェリーもタバコ屋さんも喫茶店もないが、小学生の頃喫茶店は、たまーにチョコレートパフェを食べに連れて行ってもらったことがある。その時の至福の時間が蘇る。おばさんは「はよ、痛いの治して貰いや。」というと、診察室に消えていった。
小一時間待ってようやく名前が呼ばれる。私は、両親と共に診察室に入って行った。「こんにちは。」相変わらずの優しい瞳の中に少し真剣な眼差しが私を見つめる。
まず検査結果の説明。MRI画像を見ながら、頚椎4,5,6に神経の圧迫があり、4と5の間の軟骨が飛んでしまってない状態。痛みがあるのは当然。このまま放置すると筋肉がどんどん骨を潰していくという。ここで見つかっただけ良かった。との事だった。その後、手術の説明。頚椎の悪い部分を自分の腸骨を削ってうめて固定するその際【⠀ハローベスト】という頭と身体の動きを止める為の鉄の鎧のようなものを着けること。ハローベスト装着する際に額に2つ、耳の後ろに2つドリルで穴を開けること。手術中は人口呼吸器を装着すること。
ほんとに私がこんな事するん?
まるでテレビのドキュメンタリー番組みたいに見聞きしていた。
一通り説明が終わり、はぁ〜と大きなため息をつく。聞きたいことはあったが、言葉が出ない。横から「そんなに緊張するな。」と父。その時先生が苦笑いしながら、
「イヤ〜緊張するな。って言うてもむりですわ。」ほんとに脳性麻痺の事を理解してる先生に出会えた!と思えた瞬間だった。手術は、1ヶ月後の4月6日に決まった。先生は早くしたかったみたいだけど、父の仕事や娘の学校のことを考え、1ヶ月後にしてもらった。
その時初めてボトックス注射を打ってもらう。ポツリヌス菌という毒素が筋肉を和らげる注射だった。診察室から出る前、「手術まで絶対転ばないように」と念を押され、
その後入院の説明を看護師に聞く。病室は6人部屋と個室があり、手術の直後2日ほど個室にしてはどうかと親がいう。私は個室はお金がかかるから、6人部屋でいいと言い張り、手術直後から6人部屋で過ごすことになった。
こうし手術までの1ヶ月。家で過ごす。このひと月は身体の調子が良かった。どうやらボトックス注射が効いたらしい。このまま手術しなくてもいいのではと思うぐらいだった。しかし、その日はあっという間にやって来る。
今はまだ修行中の身ですが、いつの日か本にしたいという夢を持っています。まだまだ未熟な文章ですがサポートして頂けたら嬉しいです。