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1年間、仕事から離れて暮らすことにした/自由を手に入れたら、何をする?

2023年3月から2024年2月までの、キャリアブレイクの記録です。
第一章はブレイクに至った経緯、第二章は1年かけてやったこと、第三章はお金の話。
1つの章につき、だいたい2分ほどで読めます。



「退職します」と言ったら、1年だけ休ませてくれることになった

もう限界だ、と思った。まず2-3年は頑張ろうと考えていた業界で、約7年走った。とっくにヘトヘトだった。

これが天職だと考えていたこともあった。やりがいに満ちていて、難しい仕事を任せてもらえることが自信に繋がった。

でもいつのまにか、何かに飲み込まれた。平日は早く終わってくれと祈り、休日はソワソワしているうちに一瞬で過ぎて、好きだったはずのことも楽めない。最大の味方である家族には心にもないことを言ったりして、性格も変わってしまったみたいだった。たまらず1週間とか2か月間くらい休んでみたりした。でも休めば休むほど仕事が辛くなった。

他の誰のせいでもない。体に合わないと知りながら社会貢献度とか評価・報酬につられて安住し続けたツケだ。

もともと体力が少なく、マイペースに動きたいのだ、私という生き物は。できるだけ長く寝ていたく、起きたとしても暇な時間をこよなく愛している。新しい場所や人と積極的に出会うより、慣れ親しんだ世界を深めたいようなネクラなやつなのである。
ところがそんな具合の人間が朝から夜までハイペースに、無いコミュ力を作り上げて矢面に立ち、数ヶ月ごとにコロコロ変わる重ためミッションを追い続ける。そんな、ハードボイルド・キラキラ職場にい続けたとしたら・・・。


人生の優先順位を改めて考えてみた。

大事なのはやっぱり笑って暮らすことであり、そのためには心身が健康でなくてはならない。仕事に対してはそれなりの目的意識もあったし、自分にできることの中では最良の選択肢とも思えた。積み上げたものを手放すのは崖から飛び降りるような感じがした。
けれども、もう走れない。ワークライフバランスどころかワークORライフな状況で、休憩待ったなしであった。

ある日、「このプロジェクトが終わったら会社を辞めます」と上司に伝えた。

そしたら予想外の言葉をいただいた。
「辞めなくてよくない?在籍したまま、休んでみたら?」
そんなこと、あるの?

これは、正直ありがたい提案だった。休んだ後の収入の目処もなかったのと、どうしても、自分で選んだ仕事を諦めきれない部分もあったので。

とはいえ、私が求めるのは数ヶ月程度のお休みではなく、もっと長めにがっつり仕事から離れる経験で、これを叶える会社の仕組みはなかった。それでも上司がせっかく親切な提案をしてくれたので、ダメ元で上層部に交渉した。そしたらなんと、別の上司の計らいでOKが出た。

かくして、「自己都合休職」という名の1年間の長期休暇がスタートしたのだ。



休み方を全部成り行きに任せたら、好きなことが見つかった

普通はこういうとき、「やりたいことリスト」を用意するのかもしれない。計画を立てたほうが有意義に時間を使えるだろう。

だけど私は、敢えて自分になにも課さないことにした。目標設定は脇に置いて、完全に自由になんでもやっていい状況のとき。自分が何を選んで、どう行動するのか?興味があった。なにより、将来性とか生産性とかいった価値基準から、いっとき距離を置きたかった。

***

すると。

引きこもって、寝続けるのかと思いきや。

なぜかバードウォッチングにのめり込み始めた。
きっかけとしては、仕事の合間に出会う身近な野生動物=野鳥に癒されていたこと。加えて、年明けに買った中古カメラの存在が大きい。それのおかげで鳥を高解像度で観察できるようになり、その合理的で美しい生き様を学ぶことができた。
鳥の行動を見ていたら、自分だけの問題だと思い込んでいた苦労や悩み、成功や失敗が、実は生物として当たり前の「よくあること」なのだと思えて、目の前が開ける気がした。


そして、延ばし延ばしになっていた新婚旅行を実現。船で24時間かかる小笠原に2週間も滞在した。
夫も転職前の有休消化で、二人揃って時間が取れる貴重な機会だった。数年ぶりに陽の光をたっぷりと浴び、自然に浴し、生物多様性に思いを馳せ、美味しいものをゆっくり食べた。



夏からは、長年憧れていたロンドン暮らしを叶えるために渡英することにした。でも気づいたらロンドンじゃなく、自然の多いスコットランドのエディンバラで部屋を借りていた

借りていたシェアフラットや教会、ローカルのコミュニティを起点に毎日誰かといろんな会話をするようになり、在宅で働き詰めの日々を送っていた時よりも人との触れ合いが増え、心がほぐれていく。

またあるときは、コミュニティガーデンで野菜作りに触れることになった。食べるまでの当たり前の手間と、地域の繋がりをより一層意識するようになる。
帰国した後は農園にボランティアとしてお世話になり、農業の大変さと土の絶大な癒し効果を味わい、家の小さな庭でも家庭菜園に挑戦するようになった。


こうしてときめく瞬間に立ち会えたおかげで、思い出を絵に残したい・絵を描くのが楽しい〜!となる
エディンバラで版画を学んだり、明石で水彩画を学んだり、大阪に油絵を描きに行ったりした。描くことや書くことはセラピーだ。


どこから勇気が湧いてきたのか、スコットランドの海鳥や海洋生物の研究・環境保護団体のボランティアに挑戦したこともある。興味がある領域で働くとはどういう感じなのか、窺い知る機会になった。

自然についての知識をもっと付けたいと思うようになる。イギリスではスコットランド国立図書館に通いつめ、日本に帰った後、生物分類技能検定を受験した。

そして座学やバードウォッチングでは物足りなくなり、鳥類研究の世界を覗いてみたりした。学ぶことが好きなのである。



手作りケーキを家族に振る舞った
とき、あれ私、いまちょっとだけ心に余裕があるかもしれないと思った。休んでみると、与えられてきたものの大きさを知り、居ても立ってもいられなくなる。レシピはエディンバラで一緒に暮らした物理学者が教えてくれたものだった。



好きなことや感受性を取り戻し、深め、発展させた1年だったと思う。
まだまだざっくりだけど、集約すれば「自然・鳥の研究」「食と畑、暮らしを整えること」「地域との接点・人との会話」「絵や文章の創作」ということになるだろうか。何も構えずに始めた冒険だから、純度の高い「好き」が浮き彫りになった気がする。

クライアントや上司のニーズばかり考えていたら、自分の欲しいものを考える筋力のようなものを失ってしまっていた。この1年間は、その筋力、すなわち自分軸で考える力を取り戻す機会になった。


さて次は、どうしたらいいのだろう。直近は会社に戻るとしても、ようやく取り戻したこの「好きなこと」を続けていくためには?いわゆる、どうやったらやりたいことで生きていけるようになるのだろうか。

この答えの一つは、好きなことと社会との接点を探り当てることだと思う。それは「他人軸」で見つめ直すということで、結構、難しそうなお題だし、面倒だけど。人間社会で生きていくための前向きな挑戦だと思っている。
ああ・・・。やる気が出たら考えよう。
また一つずつ試してみて、違うと思ったら次の手を考えたらいいのだ。このことは休暇中、心に留めていたことでもある。


無収入でも心おだやかに暮らすために

1年間のお休み中、生活費含め、お金は貯金で賄っていた。

もともと長く続けられる仕事ではないと思っていたので、いつ辞めてもいいように少しずつ資産形成をし、そのおかげで今回やりたいと思ったことはできた。

とはいえ、経済的不安がなかったわけではない。

今回のお休みは、当然無給。
加えて長期なので社会保険も脱退することになった。事実上の無職みたいな感じだけど、無職ではないので失業手当などはなし。休職中の身なので副業も許されない。収入ゼロに昨年分の住民税の支払いがのしかかってくるし、特にイギリスにいたときは円安の煽りを真正面から受けて、1ポンドの重みにクラクラした。

対策としては、残高が減っていくストレスを少しでも和らげるために、最初に1年間の予算計画を立てた。この一年、何をやるかは決めていなかったので、やりたいことが浮かんだらそのコストを想定して都度織り込んでゆく。月末に支出を振り返り、予実をチェックする。これのおかげで1年間での大体の支出がわかり、破産も行き過ぎた節約も防げる。お金の流れをコントロール下に置いて見える化すると、心おだやかにいられる。

それと「社会保険上の扶養」というものに入ることができたので、健康保険料と年金は夫の会社にお世話になった。本当にありがたい。


無収入生活で良かったことが2つある。

まず、「何にお金を払いたいのか」という価値観の確認ができたこと。制限された状況だからこそ、「せっかくだから」「安いから」「みんなやっているから」ではなく、本当に自分に必要なことを見極められるようになった。

その結果、自分が幸せに暮らすために月にいくら必要か、わかったこと。月収100万円もいらないと実感できたことは、無理してハードボイルドなキャリアを追い求めなくてもいいという判断につながる。

***


最後に、キャリアブレイクという言葉について。
この言葉には、「キャリアという主役に対する充電期間」「より良い未来のための準備期間」なニュアンスを感じる。

でもわたしは、この一年にこそ主役級のスポットライトを当てたい。
確かにこの期間のおかげで、これから生きていくうえでの方針となるような大事な示唆を得ることができた。よい「準備期間」になった。だけど、たとえ何の役にも立たなかったとしても、あの一つひとつの瞬間が私の人生に存在すること自体に絶対的な価値があると思っている。
まさに「今を生きている」時間だったのだ。

今を生きている!


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