R18と多様性とルールと
歌のタイトルみたいな感じになってしまったけど僕はある人の事を想いながらこの記事を書いている。
「18歳以上向け」とか「R18」とか18歳以上じゃないとダメですよっていうものが世の中にはあるけど、何処からがアウトで何処までがセーフなのかとても曖昧な感じが僕にはしている。
僕はある人の書く記事をいつも楽しみにしていた。彼の記事は僕にとってとても魅力的だった。僕が体験してみたい知ってみたい事を現実に体験し、その経験を記事に書いていたからだ。
彼の記事を簡単にまとめるなら彼の言葉通り「ゲイのセックスライフ」といった感じだろうか?今、僕の記事を読んでくれている人が彼の記事を読んだ事があるか分からないが、彼の記事はゲイとセックスとR18といった感じで読み手を限りなく選んだに違いないと僕は思っている。
彼の並べる言葉は僕と違い大胆であるのに、それと同時にとても繊細で綺麗な言葉も同時に並んでいてとても不思議な感覚を受けた。文章だけでこれだけ上手に伝える事が出来るのは本当に凄いなと思いながら彼の記事を読んでいた。
そんな彼の記事がある日を境に大きく変わった。
それからそう日を置かないうちに彼は突然姿を消した。僕はとても衝撃を受けたしもう彼の記事を見る事が出来ないのだなと寂しくなった。
R18や多様性という言葉はあるけど、彼の記事はルールを逸脱してしまった為に姿を消さなければいけない事になったのだろう。僕は良くても大多数にとっていけない事ならそちらが優先されて当然の事だから、僕はその顛末を見守る事しか出来ない。
18歳以上向け記事としてエリア分けされたとしても全体に向けて見えてしまう部分はいくらかある。トップの画像もそうだが、つぶやきの場合は18歳以上向けかどうかに関わらずその全貌が見える。
だからつぶやきやトップ画像にはR18なものや不快に感じやすいものは載せないのが多様性を尊重する事に繋がるし、ルールを守る事に繋がっていくのかなと僕は思っている。
彼のつぶやきには性的な画像が含まれていたのでそれは規約に違反する。
だから彼の場合、この場を去る事になったのだろう。
18歳以上向けと聞くと僕は性的なものを1番最初に連想するのだが、僕たちが許されるのはどの表現までなのだろうかといつも考えている。
言葉で表現する難しさもあるが性的なものは何処まで人々に受け入れられ、何処から拒絶されるのか、僕は日々その境界線に立ち続けている。
彼の表現方法を受け入れてくれる場所がこの世界にあるか分からないが、少なくとも僕は彼が今幸せである事を切に願っている。
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