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SNS上という場所を承認欲求によって心の死場にしない為に

人には沢山の欲求があって私たちは日々その欲求を満たす為に行動をしています。

食欲・睡眠欲・性欲など。

でも最近は承認欲求を満たしたいと思う人が多くなっていると感じています。

SNSが発達した現代では誰もが簡単に自分の日常を見せる事が可能になりました。

それらが社会に良い影響を多く与えた事も事実ですが、それと同時にSNSに関わる人々へ悪い影響も与え始めています。

承認欲求の暴走を引き起こしていると私は感じています。

誰もが人生の主人公であり誰もが自分の存在や価値を他人に認めて欲しい・感じ取って欲しい、そう考えるのは普通の事なのかもしれません。

このnoteという場所で記事を書いてスキやフォローをして頂ける事に対して1種の感情を持つ私もある意味、これが承認欲求を満たす行動の1つなのでしょう。

承認欲求自体が悪い事ではないです。

適度な欲求は自らを救うことになるので、ある程度は必要だと思われます。

過剰に高い場合が怖いと思うのです。

誰かから認められたい、自分の価値をどうにかして証明したい。

その気持ちが強すぎると自らの心すらも見えなくなり、承認欲求の塊となってしまいます。

欲求が一旦暴走を始めてしまった時から地獄は始まっています。

最初は些細な事でも自分の欲求を満たす事は出来るでしょう。何でも最初は少しで満足出来る人も多いでしょうから。

時間が経つにつれて少しでは満足出来なくなり、徐々に過激になっていくのが人なのだと思います。

過激になっていくと自分の生活スタイル・他人との関わり方も大きく変わっていき、時には自らを含め誰かの人生すらも変えてしまう事だってあり得る訳です。

大きく変わったとしても修正が可能な範囲であれば良いのですが、もし取り返しのつかない所まで来てしまっていた場合はどうなるでしょうか?

その時はすでに自らの心が崩壊している時か犯罪を犯してしまったなどの重大な事が起きている場合も多いと思われます。

承認欲求は人それぞれ違って何によって満たされるのかも違うので、全てを悪いとは言い切れないです。

ただ心配になってくるのは自らの体や心を犠牲にしているもの、モラルや法律に反してしまいそうなもの、それらで承認欲求を満たしている場合です。

SNS上は本当に多種多様の投稿があります。

その中にはSNS上で規約違反のもの、国の法律に抵触してしまいそうなものも多く含まれています。

表現の自由や見る人の自由も確かにありますがSNSの発達速度が法律の整備に追い付かず、使う人の匙加減も暴走してしまったのでこの現状があるのだと思われます。

特に性的な投稿に関してはとてもセンシティブな状況であると思われます。各SNSでの規約や国の法律などはあるものの、投稿全ての正当性を保証出来る訳ではありません。ましてこれだけの投稿全てに目を通す訳にもいかないのですから必ず問題は起きてしまいます。



ゲイ目線でSNS上を見ていると本当に多いのですよね、性的な投稿が。。

モザイクの無い性器の露出であったり、所謂ハメ撮りと呼ばれるものであったり。

現状これらは日本の法律では違法である為、投稿者の事を考えると心配になります。その投稿を見ている私がそう話しても説得力が無いのですけど。

その話は今回割愛しますが、SNSが普及しているこの時代。

簡単に色々な人の日常や姿を見ることが出来ます。

その中で自分を見ていると何だか虚しくなったりする事もある。

そういう想いの中で抑えていた承認欲求が暴走してしまい、人生を狂わせてしまう。


その現状を考えると世界は繋がっているように見えて実はみんな孤独の中で戦っている。

戦いの癒しを求めSNS上に辿り着くもののそこはみんなにとっての癒しの場所ではなく、時や使う人によっては地獄や死場になったりする。


私には承認欲求がどうあるべきかの正解が分からないのだけど、せめてSNS上が心の死場にならないような使い方、そしてその死場を作らないような社会の仕組みも必要なのかなと想っています。


承認欲求とSNSが不幸になる為にあるのではなく、上手に付き合って幸せな人生を掴むために存在して欲しいと私は願っています。

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