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当たり前の幸せ、それは誰かにとって当たり前じゃないから大事にしてほしい
何をもって幸せと感じるかは人それぞれだと思います。
おいしいものを食べる事が出来て幸せと感じる人もいます。
好きなアーティストのライブに参加する事が幸せと感じる人もいます。
ただ誰もが平等に同じような幸せを手にすることが出来ない場合もあります。
私はゲイである故に手にすることが出来ない幸せもたくさんあります。
多くを望まなければ良いだけなのかもしれないです。
最近も記事にしていましたが、子どもを連れて歩いている父親を見ると微笑ましい気持ちになります。
でもそれと同時に自分には出来ない事なのだなと思うと、どこか寂しい気持ちになります。羨ましいなぁと思うからついつい見てしまうのでしょうか?
これに関しては諦めなければいけないのですけどね。
いま普通に手にしている幸せも、誰かにとっては普通ではないのかもしれません。
何が幸せなのか?その人にとっての幸せは何なのか?
それはどこまで突き詰めても答えは見つからないかもしれないです。
だけど自分にとっては当たり前の事でも、誰かにとっては当たり前じゃない事もある。
あまり悲観的な話にしたくないのでこのくらいにしておきますか。
今、幸せな人はその幸せを最大限享受して大切にしてほしいです。
願っても与えられない人たちの分まで、存分に受けとって大事にしてほしいです。
みんなが同じ幸せを手にすることは出来ないけれど、それぞれが望む幸せを少しでも多く手にすることが出来れば良いなと私は思っています。