壊れた共感性が新時代の共感性になる日
どの文明、どの世界でも必ずと言っていいほど
誕生・成長・成熟・腐敗・破壊を繰り返してまた新しく生まれ変わる。
世界はある程度現在の仕組みが成熟しきっていて、それと同時に腐敗が進んでいるという事にコロナ禍が重なり気付いたのかなと僕は勝手に想像する。
人々が新しい時代を望んでいるかどうか分からないけど、時が来れば時の力で新しい時代は作られていくのだなと感じている。
ただ今の時代は変化のスピードがとてつもなく早い。何十年何百年もかかって変化しそうな出来事が数年程度で変わっていくぐらい早くなっている。
破壊される方が早すぎて新しい時代を創造するのが間に合っていない。
破壊と創造のバランスが大きく崩れているからこそ不平や不満、不安が人々の感情を混乱させている。そういう僕も混乱している1人。
バランスが悪いこの状態を何とかしようとしているのが「壊れた共感性」だと僕は考える。誰かの痛みを多くの人が共感し、その痛みを再び誰かが経験しなくても済むようにと想いを表現する。時に過剰な表現で新たな破壊を生む事もあるが、沢山の表現を用いて自問自答しながら新しい時代を作ろうと試みているように僕は感じるのだ。
この時代が何処で終焉を迎えるか分からない。
新時代の到来と錯覚させた旧時代が続くかもしれない。
それ以上に酷い時代が来るかもしれない。
でも確実に世界は変化している。
僕は「壊れた共感性」がいつの日か「新時代の共感性」となって新しい時代を創造する力になってくれる事を願っている。