クリエイターや記事と出会うのは不思議な縁

noteという世界だけで考えても本当に膨大な数の記事やクリエイターがいて自分がどの記事に辿り着くのか、どのクリエイターと何かしらの縁があるのか全く予想出来ない。

検索窓に自分の興味がある言葉をいくつか並べて検索したとしても、なかなか興味のある記事が目に入ってくるとも限らない。

自分から巡り合う事もあれば、他のクリエイターから巡り合わせがある事もある。
縁とは本当に不思議で予測不可能なもの。

たくさん記事を読む中で自分にとって縁のあったクリエイターの事がとても気になるようになった。
そのクリエイターたちが自発的に色々な記事を書いてくれる事がとてもありがたいと感じている。

何かしら記事をリクエストをする事は決して悪い事ではない。
リクエストをして欲しいと考える人もいるから。

本音を言うとたくさん記事を書いて欲しいなと思う事はある。
そのクリエイターの事をもっと知りたいなと思うから。

でもここにいるクリエイターたちは
自分の意志で好きに書き続ける方が似合っているはず。

自分で書きたいことを書いているからステキな記事になると自分は考える。

クリエイターの意志を尊重したい気持ちと、もっと書いて欲しいなという気持ちがせめぎ合う事がよくあるので自分の悪い所だなと思う。

記事を色々書いて欲しいなと思う理由がもう1つあって。

それは
クリエイターが記事を書いている=クリエイターの存在を感じられるから。

クリエイターにも日々の都合や書きたいなという記事が無い事だってあると思うので、そんなに頻繁に更新する事は無いと思う。
自分みたいに色々投稿する方が珍しいだろう。

自分の一方的な想いであるのは確かだけど、
そのクリエイターたちが元気に過ごしているかなぁとか
そういう事が気になってしまう。

内容が良い悪いに関わらず何かしらアクションがあれば、
この世界の何処かでそのクリエイターたちは存在してくれているのだなと
安心する自分がいる。

自分にとってはステキなクリエイターたちだからこそ、
同じ世界を少しでも長く共にしていきたいと思っている。

ここでの縁なので、これ以上大きく関わる事だって無い場合も多いし、こんな感じだから良いって事もある。

なので、この世界からそのクリエイターたちが退いた時、
自分にとってはそのクリエイターたちが死んだのと同じ感覚なのかもしれない。

そういう日が来ても仕方がない事だと思うけど、この世界から退いた事を察したり認知した時は暫く考え込むかもしれない。

以前話したかもしれないけど、数年前にPCのゲームで同じチームにいた人たちがリアルの都合で別れを告げて去った時、とても悲しくて泣いたこともあったぐらいなので。。

今でも元気にしているかなぁ。。。

ちょっと話がずれました。

これまでに出会ったものを大切にしながら、これからもたくさんの記事やクリエイターの想いを大切にしていきたいと思う。


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