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少年の魅力と私が少年に対して想う事を赤裸々に(R18)

※18歳以上の方向けの記事ですのでよろしくお願いします。

どう書き始めたら良いか迷いながらこの記事を書き始めています。

少年の魅力を語ったり少年愛というとタブーな話として扱われると感じています。それだけ世界には大人の自分勝手な都合によって被害を受ける子どもが多くいるという事でもあるのでしょう。

私はこのnoteという場所で男性の体の魅力だったり性の魅力に関して色々記事を書いています。
それらを書いている中でこの話も書かなければと思い、書くことにしました。

自分の想いや考え方が相手にどう伝わるか?
自分の伝えたい事をきちんと伝えられるだろうか?
書いた事を後悔しないだろうか?

様々な感情がありましたがこれも私を構成する1つとして、その想いや考え方を残そうと思いました。

少年愛とショタコンの違いがイマイチよく分かっていない私ですので、今回は少年愛という表現で統一しようと思います。


今思えば子どもの頃から私はゲイであり少年愛者のような感覚を持っていたのでは?と自分で思います。
自分が子どもの頃に同じクラスの男子を好きになり性的な感情を持つのはゲイとしてなら年相応の事と考えるのでしょうけど、ある程度年齢を重ねた時にその対象が成人の男性だけではなく未成年の男子にも向けられているとそれは少年愛者の側面があるのだろうと。

少年愛と言ってもネット上で色々な記事や考え方を見ていると、簡単に表現するのは難しい事だと感じています。

少年という存在そのものが好きであり見ているだけでも良いと考える人もいれば、性的な関係を持ち体で繋がりたいと考える人もいる。

成人男性が少年相手に性行為を行っていてもお咎め無しの時代もあったと思いますが、今はその時代ではないです。
今この世界で生きている人の中にも少年相手に性行為をする事が出来る時代だったらどれだけ幸せだっただろうか、と考える人はこの時代にもたくさんいるような気はします。

私からすれば少年というのは畏怖の念を抱く存在。
幼さ・若さ・鋭さ・純粋さ、それらが人生の中でほんの短い時間、この時期にだけ与えられる。
それらを全て持つ事を許されている。
それが少年という存在だと私は想っています。

前置きが長くなってしまいました。。

私が少年に魅力を感じ、素敵だなと思う部分。

瞳の鋭さと純粋さ
体つきと荒い線
少年と大人の境目にあるもの

1つずつ掘り下げていきます。

少年の瞳って大人と比べて鋭く、透き通っていて純粋さが溢れているように感じます。少年でも大人でも同じ瞳を持っているのに、少年の時にある瞳の純粋さって何なのだろうな?とさえ思うのです。
なので瞳が透き通っていて純粋さが溢れている男性をたまにツイッターなどで見かけるのですけど、羨ましいと思って見ています。大人で澄んだ瞳を持ち続けられるのは凄い事だと思うからです。大人になると嫌でも瞳がくすんでいるのですよね。。大人になってから苦労したり、子どもの時に持っていた純粋な気持ちを無くしてしまったような人もくすんでいるような感じがします。

そして少年の瞳の鋭さは大人がどうやっても勝つ事が出来ないと私は思っています。
大人の場合は瞳が鋭いというと、単純に目つきが悪いだけであったり他人に圧をかけたりする時の悪い印象があります。
少年の瞳の鋭さはそれと違い、少年に目を合わせるとぐっとその瞳に吸い込まれてしまいそうになる力があります。
何も言葉を発しなくてもその瞳で見つめられると、魔法にかかったかのような気持ちになるのは私だけでしょうか。。
大人のように思考が混乱しているような感じの瞳ではなく、純粋に今見えている物事1つ1つをその瞳で見ている。そんな瞳がとても羨ましく思い、私には魅力的に感じます。


私は子どもの頃からくすんだ瞳をしていたと自分で感じているので、今の子どもたちにはその瞳の純粋さと力を大事にして欲しいなと願っています。


次に体つきですが少年の頃の体つきは幼いのと同時に大人への成長過程でもあります。成人男性に比べて体つきや体の線はたとえ運動で鍛えていたとしてもか細いのですが、幼さの中にある荒々しい線は少年の時にしかない儚いものだと思っています。

これは瞳と同じで年齢を重ねるごとにその鋭さと荒さは無くなってしまいます。瞳は穏やかになり、体つきは角が無くなり丸くなっていきます。

10代と30代では明らかに違うのですよね。
同じ体型を維持したとしても、体の幼さと荒さは消えてなくなっています。

これは私が子どもの頃に見ていた同級生の男子や俳優さんなどを見て感じた事です。
俳優さんの場合はデビューした頃の写真と今を比べたりされる番組などがありますよね?その時に10代と今の体つきを見比べると違いが分かるかと思います。
子どもの頃の同級生男子を思い出してみると、私が1番最初に好きになった男子はとても幼さがあったのに腹筋が割れていて体の線が荒々しく、自分も男なのですけど男って何か凄いなと感じたのを覚えています(上手く表現出来なくて申し訳ないです)。


※ここからはダイレクトな性的表現があります。
※背徳的な考え方・表現があります。
※子どもに対しての性的表現を好まないという方は読む事をお控えください。




少年に対して性的な感情を持ってしまうのは幼い体つきと表情に反し、荒々しい男らしさのある体の線と筋肉、鋭い眼差し、純粋な瞳、穢れの無い思考、少年と大人の境目にある性器。
これらが魅力的に見え性的にエロいと感じ、少年相手に性行為をしたいと思うのでは?と・・・。

少年と大人の境目にある性器は少年の時にしかない、それこそ大人では絶対勝てない魅力があるのだろうと思うのです。。


・・・こんな事を書けるのは私自身がそう思っているからだと思います。とても背徳的でいけない事を書いている自覚はあります。この世界でこのような発言は悲しいですけど犯罪予備軍の考え方だと思われるのでしょう。。

私の性的な事を書くのは場違いのような気もしますけど、話の流れでしておかないといけないなと感じているので少しだけ。

私が子どもの頃は同級生の男子とセックスをしたいと思う気持ちがありました。それはゲイとして年相応の感情だったのかもしれません。
大人になってからは筋肉質の成人男性とセックスしたいという気持ちがありますが、勃起と射精が出来る少年とならセックスしてみたいなという気持ちが少なからずあるのは事実だと感じています。

その理由はBLやゲイのイラストを投稿しているサイトで少年同士や少年相手に成人男性がセックスしているイラストがありますよね?それを見て羨ましく感じたりとてもエロいと感じてしまうので。
それらのイラストでは成人男性が少年に挿入している事が多いような気がします。
私の場合は少年に挿入したりするのではなく、少年に挿入されて中出しして欲しいと思う方の人です。。
少年に攻められてイキたい。少年に主導権を握ってもらいたい。
そんな感情が私の中には確かに存在しています。

少年とセックスをしてしまった少年愛者やショタコンの人は、自分が少年相手に主導権を握りセックスをしたり挿入する人の方が多いのかな?と勝手な推測をします。。(間違っていたらごめんなさい)
悪い少年愛者やショタコンの人は、少年を自分のものにしようというような感じがあるような気はします。
何も知らない少年に対して成人が性的に主導権を握る事によって、少年に与える影響はとても大きいはずです。

成人相手にセックスをしたという事実。
主導権を握られる事によって起こる、考え方や意識の変化。
挿入によって射精を伴った場合の体への影響。
少年自らが射精した場合の影響。


成人男性が少年に対して性的な行動を取った場合、良い影響を与える事は何一つないのだろうと私は想います。


少年でいられる時間は人生の中でほんの僅かです。
その短い時間にだけある少年の魅力。

瞳・体つき・表情・思考・性器。
全てが儚く尊いもの。

一瞬の幻のようにも思えるし、その出で立ちを含めて少年という存在はアートのようなものでもあると感じています。

これだけ少年に対しての想いがあるのは私自身がこの年になってもなお、少年に対しての憧れや尊敬の念が強くあるからだと思っています。
大人になれない大人なのかもしれません。
それだけ少年という存在は私にとって大きなものだと感じています。

少年愛という考え方を持っている人はとても大変な想いをしているだろうと私は想います。
ただ単に少年が好きというのならば実害が少ないようにも思えますが、その想いが暴走した時、現実の少年たちに被害が出てしまう事はとても悲しい事です。
怖い体験や嫌な体験をしたり、性的な行動をされてしまったとき。
その少年たちの未来は明るいものになるでしょうか?
少年たちにそのような行動を起こす事は本当の愛なのでしょうか?


言葉や思考で牽制するのは簡単です。
でも本当の意味で少年たちと少年愛の人たち、両方が嫌な想いをすることなく存在出来る世界ってあるのだろうか?と私は考えます。


少年とセックスしたいと思う人の代替行為。
それが2次元(イラスト)の少年がセックスしている所を見る事なのかなと私は思っています。

この世界はどうあがいても実在する少年相手に成人がセックスをする事は不可能です。無理矢理行おうとすれば可能ではありますが、それは犯罪であり大きな罪となります。
本人同士がたとえ良いと思っていても社会通念上、理解を得られることは難しいでしょう。

ならばと実在する少年の中に少年同士、若しくは成人相手にセックスをしても良いという人を探して動画などの作品を作るとそれは児童ポルノに抵触する事になります。

許されない想い。
それをずっと抱えて生きていくことはとても大変だと思います。

でもそれは同時に少年愛者がとても大切で愛している少年自身も辛い思いをすることになるだろうと私は想います。

一方は自らの欲望を実在する人で満たすことは出来ず、何かしらの代替を求めて彷徨う。

一方は自らが欲望の対象になっている事を知ってしまった時、言葉で表す事が難しい想いを誰にどう伝えるのか。

好きだと想えば好きだと想うほど。
愛していると想えば愛していると想うほど。
少年愛とは辛いなと想うのです。。。


私が自分の性に対する考え方と少年愛に関して記事を書いたのは、誰も不幸になって欲しくないと思ったから。

熱く少年の事を語っていますが、昔は子どもが大嫌いでした。
何が嫌いなのか、自分でもよく分かっていないのが正直なところです。

でもこの年になると子どもたち、特に少年の未来を考えるようになりました。
経験豊かな大人と同じ世界に存在する子どもたちをどうやって守っていくべきか?
子どもに悲しい想いをして欲しくない。

それと同時に大人にも同じような感情を持っています。
全てが満たされる世界ではないですが、その想いをどうやって昇華していくのが大人にとって幸せに繋がるのか。


4000文字以上になりましたが、まだまだ伝えきれていない事が沢山あると思います。

それはまたの機会に付け足していくとして。。。


少年を大切に思うからこそ、私の背徳的な思考も含めて書かせていただきました。

あまりにも残酷だと感じた人、気分が悪くなった人へ。

ごめんなさい。これが私の思考の一部です。

全て読んでいただけた方へ。

私の思考に最後まで付き合っていただいて感謝しています。

ありがとうございました。

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