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真面目に働いても生活苦の人がいる事に僕は疑問を抱く

「働かざる者、食うべからず」
そんな言葉がこの世界にはあるけど、真面目に働いているのに食べるのが難しい人たちがたくさんいるのはどうしてだろうと僕は疑問を感じている。

そもそも「働いたの定義」がどんな感じなのだろう?
働く時間の長さ?
働く日数の長さ?
職業上の責任が重い軽いの問題?
技能を有するかどうかの問題?

一口に働くと言ってもピンからキリまで幅広くある。
人によって出来る仕事と出来ない仕事がある。
その中で「貴方はよく働いた」と人から言われ
生活するのに苦労しないだけの働き方とはどんなものなのか、
僕はその正解とやらが全く分からない。

良くも悪くも沢山の人たちが働いてくれているから社会が成立しているし、その事によって僕もありがたい事に生活する事が出来ている。
だから僕は誰よりも感謝しないといけない。

だけど「働く」という行動への意義がおかしな方向に進んでいるような気が僕はするのだ。現実を知らない馬鹿な人だと思われても良いので僕の思った事を書こうと思う。

今の時代、何でもオートメーションの時代に変わりつつある。
最近ではAIが綺麗な絵を描けるようになった事で、絵師と呼ばれる人たちの仕事が奪われてしまうのではと話題になっていた。

AIかそうでない機械かは別にして、多くの人が居なくても社会や会社が成立し始めるような世界が徐々に現実味を帯び始めている。
今の世界は
「働く=生活するためのお金を稼ぐ為=働きたくなくても仕方なしに」
という人が圧倒的に多いような気がする。

働くという行動が否応なしに強制されているのは
働かなくても生きていける世の中だったら誰も働かないからだろう
という考え方があるからだと僕は考える。
それは裏を返すと
働く事に何も意義や楽しみが無い、出来れば避けて通りたい事
という事になる訳でこの部分を改善していかなければいけないはずなのだ。

まだこの世界は人の手を借りなければ成立しないので、いい加減に労働者を扱っていてもどうにかなるのだろうけどいずれ時代が変わってきて、AIや機械が人の手に変わって世の中を回し始めた時、僕たちはどうやってこの世界で生きていくのだろうと考えてしまう。

これはあくまで僕の考え方だが
経営者は労働者に賃金をあえて多く渡さない(賃金を上げない)という戦略を使う事で労働者を自社に引き止めてきたと感じる時がある。

例えば物凄く賃金が高い会社があって、あっという間に働かなくても生活出来るほどのお金を手に出来たとする。働く事が楽しく無かったり働く意義が無いと思っている人からすれば、お金が沢山あったらすぐにでも会社勤めを辞めてしまうだろう。
だからこそあえて賃金を上げられるのにもかかわらず上げない事によって辞めたくても辞める事が出来ない状態を意図して作り上げる事は可能だし、それを利用して労働者を確保してきたのだろうと考える事も出来る。

使えるお金が少ないと出来る事だって限られてくる。
沢山お金を所持していれば出来る事が自ずと増えてくる。
でもそれらを良しとしない考え方の人だっている。

その結果が今の社会なのだろうと僕は思っている。

これからの時代オートメーション化が進み人手は最小限で良くなるので
働きたい人だけが自らの意志で働くか
才能がある人のみ働く事を許される時代になり
働きたくない人は働かなくても人らしい生活が出来て
それらを実現出来るよう何かしらが富(お金)を生み出す金のなる木になり
人々はその恩恵を受けながら生活するような世界になる
と僕は思っている。

だってそうでなければ
機械やAIが人々の仕事を奪い
人々は生活するために必要な原資を得る手段が圧倒的に減り
今よりも一部の人たちばかりが裕福になり
一般の人たちはますます貧乏になり
人らしい生活さえ不可能になってしまう
と僕は想像してしまうから。

色々遠回りしたけれど
どのぐらい何をしたら働いたとみなされ
不自由なく生活出来るのか?

その在り方をもう1回真剣に考えないといけないと僕は考える。。。


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