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たびけん ~ 日本の素敵な建築を知りたい/守りたい人たちの旅の記録 ~2 #創作大賞2024 #漫画原作部門

エピソード2 You'll Never Walk Alone


丹波健三先輩を初めて見かけたのは、京都のとある一角だった。

大正〜昭和初期の特殊な建築がいまも残りながら、観光地としては認識されていないその場所で、建物を観察しながら、カメラを手に一人でゆっくり歩く人がいた。背が高いなぁ、きれいに整った顔立ちで、頭の良さそうな人だなぁというのが第一印象。その翌日もそこですれ違った。この一角に2日続けてわざわざ来る人はいないから、強く印象に残っていた。

2度目に見かけたのは下北沢の喫茶店だった。1970〜80年代の洋楽ばかりかかる、昭和の風情を残した私が好きな喫茶店。それから何度かその店で見かけたので、ある日、思い切って声をかけてみた。

「突然、すいません。以前、京都の四条から少し下った場所で2日連続お見かけしたんです。もしかして、私と同じ趣味をお持ちかと思って…」

「ああ、あそこにいたんですか。趣味というか、あの町の建物に残る昭和初期までのデザインを記録しながら、なんとか活用する方法はないかと考えていたんです。残念ながらいくつも壊されちゃったけど、あの町の素敵な建物を活用し、日本の風情をたっぷり感じられるテーマーパークのような旅館街にできないか、とかね。場所は最高にいいから」

この人はデベロッパー? 大学で町の活性化を研究してる人? よくわからなかったけれど、初対面と思えないほど話は楽しかった。

なにしろ知識が豊富なのだ。その一角にある、玄関周りにきれいに豆タイルを貼った建物を例に出して、私が「タイルが好きなんです」と言うと

「こういうタイルの使い方って、あの辺りのような限られた場所に多いね。豆タイルでカラフルに飾ってるの、僕も好きなんだけど、東京や横須賀も、ずいぶん壊されちゃったな」

そう言ってタイル物件の写真をたくさん見せてくれた。ゾクっとするほど好きなタイプばかり!

「壊されたり、残っていても上から塗りつぶされたり。残念だけど持ち主ではないから何も言えない。京都の丹波口駅の方には行った? きんせ旅館。素晴らしい泰山タイルがあるお店」

「もちろんです!泰山タイル大好きなんです。きんせ旅館はステンドグラスも素晴らしかったです」

「泰山タイルは橋本にもあるし、東京の庭園美術館でも使われてるね。かつての朝香宮邸」

「アールデコの館!まだ行けてないんです。いつでも行けると思っちゃって」

「京都でいうと、建勲神社の近くにあるさらさ西陣も行った?」

「もちろん行きました!マジョルカタイル最高!」

「すぐ近くの船岡温泉…」

「もちろん行きました!マジョルカタイル最高!」

食い気味に答える私。タイルの話をこんなにできる人は、周りにいなかった。

ここからさらに、藤森照信先生が建物をデザインした「多治見市モザイクタイルミュージアム」や銭湯の九谷焼のタイル、そして今はまだ秘密の場所のタイルの話と続いていく。

1時間ばかり経った頃、ふと、こう言われた。

「ところで、まだ名前を聞いてなかったね」

しまった!こっちから話し掛けておいて、自己紹介を忘れていた!

好きな建築とタイルの話に夢中になっていたものだから…。

不審者のようにオドオドする私。
頭の方に血が上がっていく。顔は真っ赤になっていたと思う。

「も、も、申し遅れました。私、黒川紀子と言います。学生です。いまは、四ツ谷駅の目の前にある大学に通ってます」

「え!僕もその大学の卒業生だよ。フランス語学科。名前は丹波健三です」

「ええ!大学の先輩なんですか!私は新聞学科です。『たびけん部』というサークルに入ってて…」

「驚いた!それ、僕が作ったサークルだよ」

丹波先輩はそれまでの冷静な口調とは打って変わって、大きな声で反応した。しかし、すぐに元の冷静な口調に戻って続けた。

「正確には僕と先輩の尾東忠太さんで作ったサークル。2人とも建築が好きで、素晴らしい建築が壊されていくのに胸を痛め、せめて自分たちができる範囲だけでも日本の建築を記録し、できることなら解体以外の道を模索しようと、仲間を募って始めたんだ」

「いや、私の方が驚いてますよ。大学を選んだ理由のひとつがこのサークルに入ることだったんです。まさかその創始者と偶然お会いして、こうやって話す日が来るなんて。夢ですか?」

「夢とか思われるほど大した人間じゃないよ」

たびけん部の拠点は、四谷キャンパスの正門近く、レンガ造の一号館にある。1932年(昭和7年)に竣工した校舎で、廊下がとても美しい、私が好きな建物。一号館に拠点を置いたのは、丹波先輩たちが大学に掛け合って決めたと話してくれた。

この際だから、気になっていたことを聞いてしまおう。

「『たびけん』って、なんで平仮名なんですか? 旅と建築だから『旅建部』でいいと思うんですけど」

「そうだね。まず『たびけん』という名称の表向きの理由は、まさに今言ったように、旅をしながら建築を知り、記録することだから、その字で合ってる。でも固いし、意味がわかるようでわかりにくいから、かえって目にとまらない。『旅建』なんて単語はないからね。平仮名にしたのは、『けん』に研究、見学、建は同じだけど建設的な考察という意味も入れたかったから」

「たびは?」

「実は… 僕と尾東先輩の名字を一文字文字ずつ入れた」

「丹波の『た』と尾東の『び』…」

「知らんかった!」と言いながら、私は大きくのけぞっていた。

丹波先輩は他にも、かつて四谷キャンパス内にあった男子学生寮に住んでいて、住所が「千代田区紀尾井町7−1」だったこと、尾東さんとは学生寮で知り合ったこと、尾藤さんはお金持ちの大谷さんという方とシルクロード方面へ仕事に行って、たまにしか日本にいないことなどを教えてくれた。あと洋楽の話とビートルズの話も。

話しているうちにフと思い出した。丹波先輩は卒業後に京都の大学に入り直して、建築士の資格を取ったと聞いたことがあった。

「そういえば丹波先輩って、別の大学に入り直して建築士の資格を取られたんですよね? なぜうちの大学では建築と全然関係ないフランス語学科だったんですか? たびけん内に伝わる噂では、ル・コルビュジエの設計書や関連書物を原文で読むため、って言われてて、みんなその勉強熱心な姿勢をめちゃくちゃ尊敬してます」

創設者ということに加えて、アゲな噂が数々あり、丹波先輩はサークル内で“伝説の人”のようになっている。

「そんな話になってるんだ」

冷静な口調で答えた丹波先輩は、少しニヤリとしてこう続けた

「実は推薦で楽に入れたからなんだ」

それを聞いた瞬間、私はテーブルから肘を落とすという、古典的かつ典型的なズッコケリアクションを取っていた。

イメージとの落差!

「だから、言ってるじゃない。大した人間じゃないって」

これは、あえてハードルを下げにきたのか?

丹波先輩は、なかなか本性を見せない人かもしれない。

#創作大賞2024 #漫画原作部門


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